「フグとバクチはたまに当たるからコワい。いつも当たるとわかってりゃコワくなんかない」
有名な落語の枕です。志ん生が愛用してたそうで。
上手いこと言うもんですね。確かに「たまに」当たるからコワい。たまにしか当たらない、とわかっていても引き寄せられてしまう。「たまに」というやつには、そういうあらがい難い魅力がある。
例の大王製紙のドラ息子の公判が来月の1日にあるとのこと。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120214/t10013018121000.html
会社の方は大赤字だったり、子会社の役員が巻き添えで何人かクビになったり、創業家と他の経営陣の綱引きでしっちゃかめっちゃかになってます。
といっても、このドラ息子、東大の法学部を出てたりしてて、そんなまるっきりの馬鹿ではない。豪遊もするが、締めるところは締めていたとも聞く。
バクチというのは普通、貧乏なやつ程はまりやすいもので、金持ちはもっと優雅に「投資」とかするもんだ、というイメージが世間にはあって、この事件が公けになったときでも、「裏にオリンパスみたいな損失隠しがあるんじゃないか?」なんていう人もいました。いましたってか、私もちょっとそう思ってました。
でも捜査が進むに従い、なんとも低レベルで恥ずかしい事件だということが明らかになってきてしまいました。
いったい何が、このぼんぼんの東大法出の人生順風満帆男を魅了したのでしょう━━━?
さてと、なぜ人はバクチにはまるのか。
人類永遠の謎、ということは全然なくて、みんな何となくわかってるのに、わかっちゃいるけど上手く言えない、という類いの話ですね。ここで「以下、ドストエフスキーの『賭博者』を読め」で終らしてしまうのもかっこいいんですが、少し自分なりにわかりやすく書いてみます。
独身時代、お定まりでパチンコやら麻雀やらやってました。一応先に断っておきますが、今はすっぱりやめてます。麻雀なんか点数計算も忘れてるくらい。えーと、それでその時の経験からすると、バクチってのは勝てばいいってもんでもなくて、一番気持ちいい勝ち方をしたくなるものなんですね。
一番気持ちいいってのは、まず何にも考えずにただ勝つ、ってのが一番気持ちいい。「なんかしらないけど、ぶらっと気まぐれにパチンコ打ったら大勝ちしちゃった〜」ってやつですね。
そしてもう一つ、負けがこんできたところで大逆転する、ってのがこれがまた最高に気持ちいい。「いや〜あそこであきらめなくてよかった。やっぱ人生あきらめちゃいかんよ。俺最高!」とかいって、そのあと散財したりします。あほですね。
よくあるバクチの「必勝法」ってのは、上記の二つを厳に戒めています。バクチを打つからには徹底的にリサーチして脳みそをフル稼働させるべきだし、負けがこんできたら取り返すことなんか考えないでさっさと切り上げろ、と書いていることが多いです。ただ、ほとんどの人はこれを守れない。だって、こんなことしてたらバクチの醍醐味が味わえないもの。
これは憶測ですが、大王製紙のぼんぼんも、最初は何も考えずにただ「勝った」んでしょう。そして次にやや負けがこんできたところで、「逆転勝ち」を味わったんでしょうね。「カジノ側がわざとはめたんだ」と事情通を名乗る方がおっしゃってますが、そんなのいちいちやんなくてもはまるやつはほっといてもはまります。カジノ側は「お誘い」してればいいだけで、面倒な仕掛けなんてしてないんじゃないでしょうかね。
そういえば、『戦争と平和』にもつまんないことに家宰が傾くほどの金をかける貴族のぼんぼん達が登場します。けっこうたくさん。こういうのは今に始まったことじゃないわけです。
で、ここまで書いても答えは半分でしかありません。
人はなぜバクチにはまるのか?
バクチに勝ったその瞬間だけは「金から自由になれる」からです。
「自由になる」ってのはかっこ良すぎな感じでピンとこない人も多いでしょうが、つまり「金」に対して優位に立てる、「金」ってものを見下す位置に立てる、ってことです。まあ、錯覚なんですけどね。
普段、とにかく人は金に支配されて生きています。
「世の中に金と女は仇なり どうぞ仇に巡り会いたい」
「金のないのは首のないのにおとる」
などなど、それを表す文句には枚挙のいとまがありませんが、とにかく普通に「生きる」「働く」ってのは、「金を稼ぐため」なのが当たりまえになってます。それがバクチに勝ったときは、「金に勝ったぜ!!」って、感じになってしまうんです。でもこれ、一瞬のことで、どんなに大勝ちしても次の日には忘れてしまいます。なんで忘れるかと言うと、所詮錯覚でしかないからです。だって、手元には儲けた金が残ってますから、熱が冷めればやっぱりまだ自分は、「金」の手のひらのうちだって気づきますわな。どんな馬鹿でも。
そうして、無限ループにはまり込んでいくわけです。
本当に「金」の支配から逃れるには、「金」を捨てなくてはなりません。
どこかに投機するとか、だれかにプレゼントするとか、慈善団体に寄付するとか、そうではなく、ただ「捨てる」
もちろん「捨てる」ことで税金がごまかせるとか、そういう裏もなしにただ「捨てる」のが肝心です。
そんなことができるのは超のつく天才だけですね。
ヴィトゲンシュタインはある日銀行にふらりと現れ、まるでテーブルの上の花瓶をちょっとどかすようなふうに言いました。
「預けてある金はいらない」
ヴィトゲンシュタインは鉄鋼王と呼ばれた親の財産をうけつぎ、ヨーロッパでも指折りの富豪だったのです。その時までは。
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