今はまだ人生を語らずとかなんとか

 何がみっともないといって、ブログなんぞで人生について語ること程みっともないことはない。そう思いませんか?

 なので、今日は人生について語ってみたい。なんというか、そんな気分なので。

 でも最近は「人生」について語るって、しなくなりましたね。

 本のタイトルに「人生」とかついていても、中味は「生活」のあれやこれやでしかなかったりすることがよくある、というか80年代以降に出た本は全部そうです。どっかに例外はあるのかもしれませんが、全然知りません。ちょろちょろっと考え方を変えるだけで、人生がぐぐーんとすばらしいものになるとか、ずいぶんとお手軽になったもんだなあと思います。まあ、こんなになったのも、作家と呼ばれる人種がさぼってるからですね。マジで人生なんか語ったって売れないんだからしゃーない、という声が聞こえてきそうですが、これから高齢化社会になってくるとそういう需要って高まってくるんじゃないでしょうか。どうでしょう?

 私なんかもそろそろ「人生五十年〜」なので、ほっとくと脳みそがいろいろ勝手に考えたりするので困ってしまってわんわんわわんですからね。

 

 人生、という単語を思い浮かべると、それに連なってある風景が思い出されてくる。

 あれは娘が生まれてしばらくしてからのことだ。

 当時住んでいたマンションから歩いて五分とかからないところに郵便局の本局があって、マンションからその郵便局までは、ゆるやかな下り坂になっていた。

 確か、まだ娘から手が離せない妻から何か頼まれたのだったと思うが、その坂をため息をつきながら歩いていた。

 曜日は忘れたが、昼下がりのことだ。

 坂の途中、道の右脇の排水口に添って、大きな青いビニールシートが打ち捨てられていた。

 ビニールはところどころ泥にまみれ、巨大な海藻のように波打ち、ながながとのびていた。

 そのビニールをちらと横目に見て、なんということなく通り過ぎようとしたとき、誰かがそれを指差したような気がした。

 足を止めておそるおそる見回してみたが、あたりには誰もいない。

 ふと、ビニールが人を一人包むのにちょうどいい大きさだと気づいた。

 じっと見つめているうちにいやな気分になってきた。

 その時、坂の先の大通りを消防車が盛大な音を立てて通り過ぎ、はっと気を取り直して郵便局へ急いだ。

 用を済ますと、帰り道はそれを見ないようにして坂を上った。マンションに帰ると妻と娘が眠っていた。

 次の日にはビニールは消えてなくなっていたと思う。

 

 おしまい