なぜ自分は東京から離れなかったのだろうか

 娘が生まれて間もない頃、東海村で臨界事故が起こりかけた。「バケツでウラン」というあの事件だ。大量の放射能を浴びた作業員は、一種の拷問のようにすら思える「延命治療」を受け、苦しみながら亡くなったと聞く。

 あの当時、まだ1歳にもならない娘を抱きながら、深夜までテレビのニュースにかじりついていた。

 作業員が手分けして、一人10秒づつ手作業で冷却水をぬく、という作戦がもし失敗したならば、すぐさま車に飛び乗って高速を西に走るつもりだった。

 腕の中で娘はすやすやと寝息を立てていた。

 妻もすぐ側で眠っていた。

 東海村の住民に対しては屋内退避の警告が出されていて、てっきり村からの道路は逃げ出す自動車でいっぱいだろうと思ったが、テレビにちらっと映った様子はまったく平常のままだった。

 やがて作戦が成功し、試験棟の状況は落ち着きつつある、との報が流れ、何事も知らずに眠る娘と一緒に床に就いた。

 後日、妻が現地の農家の方に話を聞いても、みんなのんびりしたものだった、と言っていたと聞かされた。むしろその後の風評被害のほうが深刻だった、と。

 

 あの日、津波の映像に続いて次々に原発が煙を上げるシーンが流れ、「大したことにはならない」という専門家の意見を聞きながらも、(メルトダウンはしてるだろうな)という確信に近い直観を抱いていた。彼らのものいいが、東海村の時とくらべて格段に歯切れが悪かったのも、自分の“勘”を裏付けているように思われた。

 では、なぜ逃げなかったのか。

 あの当時赤ん坊だった娘は中学生になっている。

 身近で東京から脱出した人もいたし、逃げても良かったはずだ。

 自動車のガソリンタンクは、地震の直後に満タンにしていた。食料だって山ほどあった(おかげでその後の買いだめパニックとはほぼ無縁でいられた)。

 

 自問してもはっきりとした答が出てこない。

 集団行動を尊しとする日本人特有の行動?

 逃げたら逃げなかった人に負い目を感じるから?

 逃げた先での暮らしの立て方がわからなかったから?

 もう逃げても無駄だとあきらめたから?

 テレビで「ただちに」影響はないと繰り返し言われたから?

 全部そうだと言えるような気がするし、全部違うような気もする。というか、何かまだ、わかっていない部分があるように思う。

 あの時、「最悪の事態」になって退去命令が出されていたらどうだろうか。その時はやはり逃げただろう。

 しかしそれは、東海村の時に感じたような自発的なものとはならなかった、と思う。

 

 昔、「逃げよう」と思ったあの感覚が、いつの間にか消えている。消えていると言うか、それが何だったのか、そして「それが消える」ということはどういうことなのか、よくわからなくなっている。

 わからないが、消えた代わりに手に入れたものもある。

 手に入れたものは、なんと名付ければいいのか、どう表現すれば人に伝わるのかよくわからないものだ。

 少しづつ、思い出しながら書いてみたいと思う。

 

 娘は4月で中学2年生になる。