なんでそんなに「歴史」が好きなんだ

 今週のAERAを立ち読みしたら、「原発敗戦」という単語が目に飛び込んできた。

 また敗戦か。何度目だよ。

 オイルショックやら円高やら株の暴落やらバブルの崩壊やら、ことあるごとに「敗戦」って、売れない漫才師みたいだ。

 現在の事故をこうして過去にもあったかのように語るのは、手っ取り早く何事かを分析したようにみせかけることはできるけれども、実際には有効なことは何もなかったりするんだよね。

 温故知新の「知新」がなくて「温故」ばっかり。

 

 またぞろ旧軍と似たような失敗事例をあげつらって見せて、それに対して「はーい、今度はきをつけまーす」という答が帰ってきて終了、なんてパターンは見飽きた。だいたい「敗戦」とか言いたがる人は、すぐ「日本人特有の」本質だの行動様式だのに話を持ってって

、「さあ、皆でよく考えてみよう」と投げ出すことが多い。西荻の居酒屋でホッピーあおってるおっちゃんならともかく、「評論家」だの「ジャーナリスト」だの名乗ってる人がこれって、単に怠けてるだけじゃないの?

 

 過去と類似する部分ばかりを取り上げることは、新しい事態に対して目を塞ぐことにならないだろうか。

 とにかく口を開けば「歴史に学べ」と言って、歴史を語るだけで全てをわかったような気になってるとか、思考が停止してるようにしか見えない。歴史から学んでさえいれば、現実から目を背けてもいいと思ってるんだろうか。

 

 と、自戒を込めて。

 

 あと付け足すと、歴史に足跡を残したがる人、ってイタい人が多い。特に政治家とか最悪。龍馬が大好きとかもうね。