『メノン』の新訳をを読んでみたらさっぱりわからなくなっていた

光文社古典新訳文庫で『メノン』の新訳が出たので読んでみた。

 そしたら文章がわかりやすくなってたのに、さっぱりわからなくなっていた。昔、岩波ので読んだときわかったように思ったのは、あれは錯覚だったのだろうか。うーん、そうなんだろうなたぶん。

 

 この本は、ソクラテスとメノンが徳(アレテー)について行った対話をプラトンが記録した、という体裁をとっている。メノンはちょっと頭が良くて生意気でイケメンの青年だ。そしてソクラテスの方は「めくれ鼻」で「出目」のおっさん。

 

 ソクラテスの物言いは、つっこみどころがいっぱいだ。しかし、昔はそれがわからなかった。だからわかったような気がしていたのかもしれない。今はつっこみどころがわかる。と同時にそこにつっこんでも何の得にもならない、ということもわかる。そんなことをすれば、くだらない議論が何度も何度も何度も蒸し返され、自分で自分のバカさ加減に嫌気がさしてくる、という結果をもたらすことになるだけだろう。でもそれは『メノン』を読了してわかる、言わば後知恵といういやつだ。

 すると、その「つっこみどころ」をメノンがスルーしたのって、メノンは最初から結論をわかっていたことにならないか。「いや、それこそがプラトンの意図したことだ。ソクラテスは最初からメノンが(内在的に?)知っている結論に導いているのだ、ということをプラトンは言いたいのだ」てなこと?でもそれを導くには、この対話の全体をメノンがあらかじめ知っていることが必要になってくるのではないか?

 メノンとソクラテス、立場も違えば年齢も考えも違うものが対話しているように見えて、ここでは自己対話しか行われていないような奇妙さが残る。

 

 このような「奇妙さ」は訳文がこなれたものになったからこそ感じられたのかもしれない。おかげでわかりやすくなったはずが、さっぱりわからなくなってしまった。

 どうやら読んでるこっちもソクラテスの電気にやられたようだ。(ソクラテスはシビレエイとあだ名されている)