「あの日」
店の本棚が倒壊し、必死で電話して家族の安否を確認した。
それからテレビから流れてくる信じられないような映像に衝撃を受けた。
放射線の単位に詳しくなった。
スーパーから品物が消え、ガソリンスタンドが休業した。開いてるスタンドには行列ができた。
停電になった時は家で本を読んでいた。
テレビは同じCMばかり繰り返して流すようになった。
気がつくとため息ばかりついていた。
そんな非日常的な暮らしをしながら、ずっと考えていた。
(これから日本はどう変わってしまうのか)
どんなに想像しても、どのように変わるのかまったくわからなかった。
そして嫌な結論にたどり着いた。
(まったく変わらないんじゃないのか)
サイレンとともにスピーカーから流れる「停電は終了しました」という声を聞きながら、そんなことを考えた。
考えながら恐ろしくなった。
やがて停電はしなくなった。
CMは徐々に元に戻った。
テレビ番組も原発の映像を流さなくなり、普通のバラエティー番組が何事もなかったように再開した。
スーパーはまた安売りを初め、ガソリンスタンドも通常通り営業した。
都知事はすんなり再選した。
半ば本で埋まった店をよたよたとかたずけ、営業を再開した。
今も東北の復興の道筋はつかず、原発は放射能を垂れ流し、避難民は帰れないままだ。
それなのに周囲は何の変化もない。
「できればなかったことにしたい」
それはエリートと呼ばれる人だけでなく、もっとずっと大勢の人たちの隠れた欲望だ。
被災者ですら、いや被災者ならばこそか、その欲望から自由にはなれないだろう。
何か、酷いこと言っているような気がする。
でも、「忘れない」ことは「忘れたい」という気持ちと矛盾なく同居してしまう。
そのことは「忘れない」ようにしたい。
気づかないうちに、自分が自分の敵になってしまわないように。
“Inside Japan's Nuclear Meltdown”
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