バッハ・コレギウム・ジャパンを聞きながらついタルコフスキーのことを思い出していた

 昨日(3月23日)バッハ・コレギウム・ジャパンの『東日本大震災チャリティー・コンサート』に行った。

 最初に被災地の写真が大きく何枚も映し出され、黙祷し、演奏が始まった。

 シルクが空中から紡ぎ出されてくるような響きに身を浸しながら、しかし、昔見た映画のことを思い出したりしていた。

 それは、アンドレイ・タルコフスキーの最後の映画『サクリファイス』だ。

 タルコフスキーは自分の映画にバッハを愛用しているが、この映画でも『マタイ受難曲』をバックに流している。

 指揮はゲンネンヴァイン。どこか不安な演奏で、聞いている途中「もしかしてこのままイエスは復活しないのでは?」と思わされる。

 

 映画の冒頭で、老人と子供が一本の樹を植えている。

 老人はこれを「日本の樹だ」と言う。

 彼ら二人は「自分らは日本人の生まれ変わりだ」と自称している。

 見ていた当時は、なんだか居心地悪いような感じがしたものだった。せっかく素晴らしい映画なのに、素直に受け入れることができなかった。

 当時の日本はバブルの入り口にあり、もうタルコフスキーが想像するような日本なんかどこにもないのに、と思っていた。

 しかし、そんなことはどうでもいいことだったのかもしれない。

 

 そして、復興の象徴となったこの一本の樹の写真を見た時、あの映画を見た人間は誰もが思い出したことだろう。

 まるで『サクリファイス』だ、と。

 映画は、核戦争による「破滅」から、「再生」するためのストーリーになっている。

 これは予言なのだろうか?

 いや、「一本の樹」が象徴となる話などいくらもある。ただの偶然だと考えるべきなのだろう。

 樹は映画の中で最も重要な役割を果たす。

 それは、ただずっと、そこにいる、ということ。

 コンサートが終わった後、春の雨の中を早足に歩きながら、『サクリファイス』をもう一度見てみたい、と思った。

 だけど、タルコフスキーの映画は絶対にスクリーンで見る、と決めているので、とりあえずここしばらくは機会がないのだった。

 

 ちなみに、ロビーのCD直売コーナーで、BCJの『マタイ受難曲』を探したが、置いていなかった。

 このCDは高くて、ゲンネンヴァイン指揮のCDの4倍もするのだ。

 それからどうでもいいことだが、『サクリファイス』はスウェーデン映画で、原題を“Offret”という。そして、バッハ・コレギウム・ジャパンのCDがでているBISレコードもスウェーデンの会社だ。