ジャック・デリダの『パピエ・マシン』を読んだので全然関係ない話をしてみたいと思う

 

 

 あれはまだ、「円高不況」とかがやってきて、これからバブルなんてお祭り騒ぎが来るなんて誰も予想してなかった頃のことなんだけど、韓国からおばちゃんが山ほどセーターを担いで行商に来てたことがあった。

 セーターは全部手編みで、勿論ブランドもののようなデザインもフォルムもなく、大きくて着やすくてあったかで、そしてなんといっても安かった。一着千円だったと記憶している。当時ニットものはお高くて、変なデザインのものでも五、六千円はしてたから、貧乏だった自分にはありがたかった。雪の降る新宿の道端で買って、三年程愛用したと思う。

 山と積まれたセーターはどれもデザインは似たり寄ったりで、色数も少なく、サイズも同じだった。ぱっと見て、太い毛糸をで大急ぎで編んだのがわかった。ざっと二、三百着はあったと思うが、全部独りで編んだのだろうか。

 編み物はまったくしないので、その手間は想像もつかないが、手編みと機械編みの違いくらいはわかる。ふと気づくと、明らかに手編みのセーターやマフラーや帽子を身につけている人が眼につかなくなったようだ。雑貨屋の店頭で毛糸が安売りされている、という光景も見かけることはなくなった。それでも手芸店はちゃんとあるし、そこではとりどりの毛糸が売られているのだから、きっとどこかの誰かが手編みのマフラーやセーターを着ているのだろう。昔は手編みと機械編みは歴然と違いがあって、眼のつまり方や揃い方が、なんというか、手編みの方が「味わい」(笑)があったものだけど、最近はいい道具も出来たし、毛糸の質も上がったのでそれほど遜色はないということか。

 手編みといえば、毛糸玉をつくるのに、両手を拘束されるのは子供の仕事だった。転がる毛糸玉にじゃれつく猫を追い払うのも子供の務めだった。そして出来上がった「作品」を着るのも。首がちくちくするのをがまんしながら。そういえば昔の手編みのセーターは、必ず首もとがくすぐったかったが、あれはどういうわけだったのだろう。

 子供が成長すると、セーターをほどいて毛糸に戻して、それをまたマフラーに編み直す、というようなこともあった。

 きっと今でも手編みの作品は大量に生産され、誰かの身体を寒さから守っているはずだが、そのことについてことさらにコメントする人はいない。そこらのディスカウントショップでセーターやマフラーが安く売られても、どんな問題も語られはしない。手編みが流通市場を阻害するという人もおらず、自分で編むよりも安く店で買えるからといってそのことを嘆く人もいない。国外から手編みのセーターを売りにくる人がいたからといって、そこに経済の問題を当てはめて語りたがる人もいなかった。今だっていないだろう。毛糸は羊毛だから昔からほぼ輸入品だった。化繊だってもうずいぶん前から輸入している。でも手編みの経済についてなんか誰も気にしない。

 

 ニット帽を一つ持っている。昔死んだ知り合いの形見だ。

 帽子をかぶる習慣を持たないので、ずっとたたんだままタンスの奥にしまわれている。なんでそんなものをもらってしまったのかは忘れた。たぶん、葬儀に行かなかったので、なんとなく断りきれなかったのだと思う。葬式は大嫌いだ。

 帽子はその知り合いの別れた奥さんの手編みだということだった。けれど、その奥さんは今どこにいるのかさっぱりわからないという。当然その奥さんも、葬儀には来なかった。

 

 最後まで全然関係なし、というのもちょっと何なので、『パピエ・マシン』から気になる部分を引用してみる。

 来るべき書物のこの二つの幻想について〈真面目に語る〉ためには、中立的な形で、すべての終末論的な目的論を放棄すること、すなわちすべての評価を放棄することが必要になります。悲観的な評価も楽観的な評価も、反動的な評価も進歩的な評価も、すべてを放棄すべきなのです。それだけではありません。不可避なものを目前にして私たちに訪れるすべての悲哀、空しくかつ無力な悲哀にふけることもやめるべきでしょう。

 そういえば、ソーインング・マシンって、まだあるんだね。