このやうな末世を桜だらけかな(一茶)

 昨晩、妻がタイ語教室から帰ってくるのを待って、娘と三人でぶらぶら夜桜を見に出かけた。

 途中のコンビニでビールを二本買って、近くの野川という川まで歩いていく。野川の川沿いには数百本の桜が植えられていて、満開の時期に数回ライトアップする。その夜がちょうとそのライトアップの日だったが、出かけるときにはすでに終っているのがわかっていた。わかっていても、やっぱり出かけるときには出かけるものだ。

 ライトは消えても街灯に照らされた桜は美しく、人気の引いた桜のトンネルをしばしそぞろ歩いた。

 その昔、夜桜が珍重されたのは、見るのが難しかったからだ。街の灯りなどないのだから、夜でも明るくなければならない。満開のタイミングで、磨いたような満月が登り、雲一つなく、風も吹かない、そんな夜でなくては桜など見られなかった。風に散る花びらもいいけど、それではやや夜の空が濁る。闇に立っているというのにうっすら影ができるような、そんな不思議な明るさが必要だった。現代の東京では、そんなことはおかまい無しに見られるけれど。

 夜桜の花びらは妙に光る。ただ光を反射するのではなく、一度光を含んでそれを吐き出してる、そんな風情だ。

 夜に光る桜の隧道を娘が走ってゆく。少し走ってはたちどまり、なんだかつまらなさそうな顔つきで待っている。ビールを飲みながらぶらぶら追いつくと、また走ってゆく。その繰り返し。もう背は妻を越したというのに、小学生の頃とやることが変わっていない。

 

 帰宅すると、ベランダの向こうにも満開の桜が見える。そう、三階のマンションののすぐ眼の前にも桜が咲いているのだが、それでもわざわざ外に出かけるところに妙味がある。

 娘は爪が気になったらしく、床に座るとぱちりぱちりと切り出した。「夜爪を切ると」という言い伝えなんか知らない。我が家では爪は夜切るものだ。娘が切り終わると、こっちも人差し指と薬指の爪を少し切った。

 桜が咲く頃は、爪が伸びるのも早くなるような気がする。

 

 子と二人 爪切る夜の桜かな(拙詠)