テレビでストラヴィンスキーのドキュメンタリーをやってたのでだらだら見てた。
カナダのテレビ局が作ったもので、白黒の画像だった。
画面ではすっかりはげ上がったストラヴィンスキーが、サングラスをかけて指揮棒を振っていた。つい忘れがちだが、彼は優秀な指揮者でもあったのだ。
曲は自身の『詩編交響曲』で、スタジオ録音の風景をカメラが映している。指揮するストラヴィンスキーと演奏する楽団と、もう一つは録音を仕切る、おそらくはレコード会社の若造だ。
ディレクター・ルーム(と当時も呼んだのかな?)では、演奏についてあれこれ遠慮のない指摘がなされる。遠慮がないというか、エラそうだ。二人の「若造」はストラヴィンスキーの息子ほどの年齢で、「テンポがおかしい」だの「バスドラの音が小さい」だの「よくわかってないんじゃないか」だのとぬかす。
そして、ちょくちょく演奏をストップさせてはやり直させる。
これが当時としては通常のレコード録音風景なのだとしたら、チェリビダッケがいっさいスタジオ録音しようとしなかったのがわかる。プライドの高い指揮者には屈辱的だろう。逆に録音でしか演奏を発表しなかったグレン・グールドは、自分で演奏を聴いて自分で録音するようにしていた。カラヤンにいたっては、技師顔負けの技能と知識を身につけた(ソニーと仲良くしてただけある)
場面はすすんで、ナボコフとの対談になる。
録音機を指差して「へたなことは喋れないね」という、お茶目なストラヴィンスキー。
話すうちナボコフが暗い顔つきになり、立ち上がって言う。
「ジャン(コクトー)について悪い知らせがある」
ストラヴィンスキーは黙ったまま不安そうにナボコフを見上げる。
「発作を起こしたらしい」
「……心臓か?」とストラヴィンスキー。
「わからない」
この対談のあと、ほどなくジャン・コクトーは死んだ。
そしてゴーゴリは叫びながら死に、ディアギレフはラ・ボエームを歌いながら死に、ラヴェルは長患いの果てに死んだ、とナレーションが話をつなぐ。
対談が終ると、ストラヴィンスキーは立ち上がって、カメラに向かって鼻を突き出すようにして挨拶をした。
「それでは、みなさん、お元気で」
そして、歯を見せてニカニカ笑った。「ニカニカ」というオノマトペがぴったりくる笑いだ。
「よく食べてー、よく飲んでー」
まるで初心者にバレエのレッスンでもしてるような調子に、つい見てるこっちが苦笑させられた。(はいはい、わかってますよ)と言いたくなった。
それから、ストラヴィンスキーは長生きした。1971年に89歳で死んだときには「もう少しで自分の曲より長生きするところだった」と皮肉を言う人もいた。しかしストラヴィンスキーの曲は、彼の死後も生き続けている。『春の祭典』や『火の鳥』にブーレーズが不死の魂を吹き込んだからだ。
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