自然な哲学者スピノザの伝記を読んで感じる不自然ないろいろ

スピノザ―ある哲学者の人生

 

 

 スピノザの伝記を読んだのはこれで何冊目だっけか。そんな数えきれないほど読んだわけでもないのに、上手く思い出せない。

 この『スピノザ―ある哲学者の人生』を読んで浮かび上がってくるのは、「ユダヤ人スピノザ」だ。当時のオランダのユダヤ人たちがどのような信仰を持ち、どのように暮らしていたか、そして、どのような経緯でアムステルダムやデン・ハーグにやってきたか、ということが詳しく書かれている。

 

 さて、スピノザといえば「孤高の隠者」というイメージがふりまかれているけれど、あれやこれや関連書籍を読んでいると、けっこう情熱的だし、行動的だし、人当たりもいいし、少々気に入らない人間とも我慢してつきあうし、なんだか「隠者」という気がしない。

 不良債権の回収に嫌気がさして商人はやめたようだが、その代わりに始めたレンズ研磨は関係各所からご好評をいただいたりしている。彼が制作した望遠鏡や顕微鏡はかなり評判が良かったようだ。

 そこで疑問に思われるのは、なんで同時代に同じ町にいたレーウェンフックとの関わりがなんでなかったのか? ということ。レーウェンフックは自作の顕微鏡で微生物を観察した、「微生物学の父」と呼ばれてる人だ。そして、レーウェンフックの親友だった画家、フェルメールとは本当に面識がなかったのだろうか?

フェルメールとスピノザ 〈永遠〉の公式

 

 これはみんな疑問に思うらしくて、こんな本も出てたりする。

 しかし、それよりも、一時期レンブラントのすぐ近所に住んでいたのに、なぜお互いにその「記録」が欠けているのか。手紙にちょっと書くとか、それでなくてもそれぞれの知人が日記に書き残すくらいあってもよさそうなものだが……

 

 とにかく、スピノザは同時代の時事的な事柄について書き残したものが少ない。少なすぎる。じゃあ、そうしたことにまったく感心がなかったかと言えば、そんなことは全然無く、市内のテロに反発してビラをまこうとして宿の主人に停められたりもしている。これ、もし停められてなかったら、スピノザの命はそこまでだっただろうと言われている。

 また、ユダヤ・コミュニティーに蔓延した「サバタイスムSabbatian」についても一言もない。書簡で「どう思うか」と聞かれているが、その返書が残っていない。

 サバタイスムはサバタイ・ツヴィ(本書ではサバッタイ・ツェヴィ)という男が始めたメシアニズムで、1666年に世界はあんにゃらもんにゃらになってイスラエルが復活する!って予言がメインになっている。まあ、はずれたわけだが。ただ、このサバタイスムってのは一筋縄でいかない思想を内包してて、ユダヤ神秘主義においては20世紀のヤコブ・フランクに至るまでその系譜が続いていたりする。

 このサバタイ・ツヴィとスピノザにはたった一つ共通点があって、両方ともユダヤ教会から「破門」されてるのだ。なので、スピノザがツヴィに何の関心も持たなかった、とはちょっと考えづらいように思う。そりゃ、賛同なんか絶対にしなかっただろうけど。

 

 とまあ、なんというか、スピノザという一本の巨大な「大樹」が、他の樹と枝が触れないように、誰かが刈り込んでるんじゃないのか? という感じがする。ライプニッツとの交流は残っているが、さすがにこれは「高みにありすぎて」刈り込めなかったのではないかと。

 ピエール・ベール)が『歴史批評辞典』でスピノザを「無神論者」と決めつけてから以後、スピノザは死後もその「悪名」が雪がれることなく、「スピノザ的」などとレッテルを貼られれば思想家は死んだも同じ、てな時代が永く続いたりしてた。

 なので、とにかくスピノザとの関わりを、みんながせっせと洗い流してしまったんじゃなかろうか、と……

 

 なんだか陰謀論チックになってきたが、今後また「新たな事実」が明らかになるやもしれないので、地味に待つことにしたいと思う。

 あと、スピノザの名前はポルトガル語のEspinosa「茨」から来ているそうだ。磔になったキリストがかぶらされている、あのイガイガは茨の冠である。後半生を見るとはまりすぎ。

スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書) 破門の哲学―スピノザの生涯と思想