死んだはずだよイデオロギー♪もしくは死霊の盆踊りと女王様の裸踊り再び

 経済学者たちは、労働者の欲求をなんとか生きていけるだけの必要最小限に抑え、活動はただ手足を機械的に動かすだけに抑えるのだから、人間はそれ以外に活動の欲求も享受の欲求ももたないことになる。そんな生活でも人間的な生活であり、人間的な生き方だというのが、かれらの言い分だ。

 

 労働者のちょっとした贅沢も非難すべきものとされ、外へと向かう活動であれ、贅沢だと考えられる。だから、富の学問たる経済学が、同時に、抑制の、困窮の、節約の学問となり、実際に、新鮮な空気を欲したり体の運動を欲したりしないように、と説くに至っている。

 

 経済学は、世俗的で官能的な外見にも関わらず、現実的な道徳を説く、この上なく道徳的な学問となっている。自己抑制、生活の抑制と、すべての人間的欲求の抑制が、説教の中心をなす。

 

 経済学者たちが君の生活と君の人間性から奪ったすべてを、かれらはお金と富で埋め合わせてくれる。君はできないことだらけだが、そのすべてを君のお金はできる。

 

 しかし、そんな力をもつお金だが、そのお金は、自分自身を作り出すこと、自分自身を買うことしかしようとしない。

 

 労働者は生きていくのに必要なだけしかもってはならないし、もつために生きようとしなければならないのだ。

 

 君は食べる等々の直接の感覚行為を控えめにしなければならないだけではない。経済的であろうとし、幻想に引きまわされて没落するのを避けたかったら、一般的な利害に関与したり、人に同情したり、人を信頼したりといったすべてのことから身を引かなければならない。

 

 

経済学・哲学草稿 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 いきなり引用から始めてしまいましたが、またコレです。マルクス20代の若書きなんですが、すごいですねえ。どこらへんがすごいかというと、今読んでも全然違和感がないとこがすごいですね。

 だって、ここで述べられてる内容って、今も「経済学者」とか「経済評論家」を名乗る人たちが暗に言ってることそのまんまなんですから。いや、それだけじゃない、テレビのコメンテーターとか、ネットのブロガーとかメルマガ配信してる人たちとか、ファミレスでだべってる奥様達も、新橋の居酒屋でオダあげてるおっさんたちも、基本的にこういう考えでしゃべくってます。

 だから「生活保護で不正受給があったー!」とか「給食費払ってない人たちがいるー!」とかで怒ったりできるわけです。あ、派遣村を批判する人たちってのもいましたね。「貧乏なはずなのにケータイ持ってるー!」とか「貧乏なはずなのにタバコ吸ってるー!」とか「貧乏なはずなのに太ってるー!」とか、まあいろいろ。

 なんたって

 「労働者のちょっとした贅沢も非難すべきもの

 なんですから。

 わざわざボールドかけたのはこのためです。

 

 とにかくみなさん「経済」でものを考えるクセがついちゃってる。

 あ、これ、保守の人がよく煙幕張ってる「ニッポンジンドクトクのなんちゃらかんちゃら」とは違いますから。だいたいどこの国でもそうです。アメリカでもね。お茶会の人たちとか。

 今や先進国と呼ばれる国のほとんど、いや、世界の半分以上が、この「経済」に洗脳されちゃってるんですね。

 

 引用文で経済学とわざわざイタリックにしたのは、本文ではここは「国民経済学」になってるからです。その方が「今」に照らし合わせて考えやすいですから。まあ要するにアダム・スミスなわけで、引用した部分もマルクスがアダム・スミスをわかりやすく解釈した部分なのです。

 ではまた引用。

 富の段階がこれ以上ないほどの高さに達した国では、労働の賃金も資本の利子もきわめて低いはずだ。仕事を得るための労働者間の競争は激しく、給料は労働者の数を維持できるギリギリの額に引き下げられる。そして、その国の人口はすでに上限に達しているから、それ以上増えることはないはずだ。

 

 

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

 

 アダム・スミス『国富論』山岡洋一訳上巻99ページから。

 

 うーん、山岡訳は読みやすくてイイ!、てなことはさておいて、これ、まるで今の日本だと思いません?

 ・賃金安

 ・金利ほぼ0

 ・少子化で人口減

 あ、もしかして、日本って「富の段階がこれ以上ないほどの高さに達し」ているの?うそぉ。

 では引き続き引用。またマルクス『経済学・哲学草稿』から。

 経済学の原理である欲求喪失は、その人口理論においてもっともあざやかに示される。かれらは人間が多すぎるというのだ。人間の存在までが純粋な贅沢とされて、道徳的たらんとする労働者は生産を節約するはずだというのだ、

 J.S.ミルなんかは結婚しても子供を作らない人を賞賛したそうですね。

 実は「少子化」ってのは、経済学的に「望まれたもの」だったようです。

 ではなぜ経済学者達は「少子化」を望んだのでしょう?

 それは、「そんなんどーせ無理だから。言っても無駄だから。人間はスケベだから」って思ってたからでしょうね。医者が「病気がなくなる?ねーよ」って思ってたり、警官が「犯罪がなくなる?あるわけねーだろ」と思ってるのと同じです。

 とにかく「経済」を思想として成立させるためには、そういうありえない限界に思考のベクトルを向けていくのが手っ取り早かったんです。

 

 ところがここに誤算が生じました。

 経済が「思想」となって流布するにつれ、それがイデオロギーになってしまったってことです。

 

 まだまだ続きますが、また明日か明後日に。