評論家ってなあに?という疑問はあんまり素朴とは言えません

 昔々その昔、娘が小学二年生の頃だったと記憶しております。

 当時の娘はわがままできかん気で泣き虫で、いやまあ今でもそうなんですが、その年頃はしょっちゅう母親からカミナリを落とされていました。そして、私はそのなだめ役にまわっておりました。

 ある夕、バレエ教室からの帰りに娘が言いました。

 「パパはダイヤモンドだけど、ママはうんこだね!」

 子供って、パスタパンより底が浅いなあ、と思いつつ応えました。

 「じゃあ、パパよりママの方が大事ってことだね」

 「え〜なんで〜、ママはうんこなんだよ」

 「だってさ、人間はうんこが出なかったら死んじゃうよ。でも、ダイヤなんかなくても死なないじゃん」

 「え〜……でも〜……」

 「でしょ?」

 「う〜ん……#@&%!$&*^#*^#^^@&ググググ」

 「ん?」

 「パパ!!!」

 「はい?」

 「ひょーろんかみたいなこと言わないで!!!!!」

 

 いやあ、足払いかけたら巴投げかまされたような気分になりました。子供ってのはこういうことがあるから侮れない。

 

 ツイッターとかが普及したおかげで、今や一億総評論家だそうですね。この一億総○○って言い方もジジむさい感じがしてイヤなんですが、まあそれは置いといて、評論家ってなんだろう、って話です。

 今さら感てんこもりな話題ですが、やっぱり小手先のレトリックでちょちょいと感想述べるだけで小銭が稼げる、というポジションがうらやましいってのは誰もが感じるところでありましょう。

 しかし、今や「小手先のレトリックでちょちょいと感想述べる」なんてのはちょちょいとクリックすればそこら中で読めるわけで、その程度のことで小銭が稼げたりなんかしませんね。

 そういう「感想書き」じゃない、印象だけでものを語らない、小林秀雄とかこないだ死んだ吉本隆明のようなホンモノの評論家ってのはどういう存在なのか。

 それは「イデオロギーの作り手」ってことです。イデオローグですね。ただ違うのは、評論家はよく「イデオロギーの破壊者」「イデオローグの批判者」を装いたがる、ってことです。壊すと言いつつ創り出す、スクラップ&ビルド、矛盾しているので信用されないけど、矛盾してるがゆえに魅力的なわけです。

 つまり、このエントリーは昨日書き漏らしたことの追加なのです。すんません。