人は皆自転車に乗れるようになると乗れなかった頃のことを忘れてしまう

 自転車に乗れなかったとき、どんなふうに「乗れなかった」か、思い出そうとしても上手くいかない。おそらく、ほとんどの人が、「乗れなかった」ことを忘れている。

 なぜ忘れてしまうかというと、思い出すとまた乗れなくなってしまうからだ。

 つまり、忘れることによって前進できる、ということがあるわけ。

 たとえば、昔は大きな家に住んで贅沢な暮らしをしていたこととか。

 いい成績をとってほめられたこととか。

 きれいな女の子と手をつないだこととか。

 

 え、逆じゃないかって?

 自転車に「乗れなかった」頃の自分は、まだ世界のことを何も知らず、それでいてそのままでいようとした恥ずかしい自分と同じなのだ。

 みんな幼稚な勘違いをしていたことを憶えていても、世界に対して傲慢に振る舞っていたことは忘れてしまう。

 それは自転車に限らず、いろんなことが「可能」になることによって、「不可能」さの中の傲慢さを脱ぎ捨てていくことができる。

 まあ、そんな感じ。

 

 何が言いたいのかというと、忘れるのはけっこういいことだ、ということ。

 

 ちなみに、作家の石川淳は自転車に乗れなかった。ちょっとジャンプしてものをとるとか、そういうこともできなかったらしい。つまり運動神経0。死後に奥さんが暴露した。作家は妻より先に死んじゃいけませんな。

 現代の作家だと、赤川次郎が乗れないらしい。