最近「経済的に考える」人が馬鹿に見えてしょうがないということについてのメモ

 また煽ってしまった。最近なんかおかしいな、自分。

 

 「信用」の話をしたので、ついでに経済の方も少し。

 グローバリズムとか、新自由主義とか、市場原理主義とか、金融工学とか、リーマンショックのあとも依然として、というか以前にも増して、猛威を振るっている経済「学(?)」がいろいろあります。

 これらに共通して言えるのは、「信用」なんてものを社会から排除しちゃおう、としてることですね。

 とにかく合理的に考えたい、知性と理性が支配する世の中にしたい、という人たちにとって、非合理的で非知性的で非理性的な「信用」なんてものはノイズでしかないんです。

 だから、必然的に弱者なんかばんばん切り捨てます。

 だってその方が「合理的」だし、理性にかなってるし、ついでにいうなら「科学的」だからですね。

 そんな理想をかなえるべく、金融工学から生まれたのが悪名高きCDSってやつ。債権自体を移転することなく信用リスクのみを移転する取引で、倒産の危険性を最先端の金融工学で数値化してどうたらこうたら。

 これは「信用」を数値化して、市場にながすために作られた「商品」です。

 ついこないだもモルガンがそれで大やけどしてましたが、懲りないでしょうなあ……カシオミニを賭けてもいい。

 

 日本はすでにバブルが崩壊した時、経済の中の「信用」てもんがあらかた焼かれてしまいました。「また焼け跡だらけになった」と語った人がいましたが、何が焼かれたかははっきりしてませんでしたね。「日本人の心」とかなんとか、しょーもないことを言っていたと思います。

 あの時焼かれたのは「信用」です。

 だから銀行はおいそれと金を貸せなくなり、そのため貯金が積み上がるばかりなので国債買ってしまうんですね。

  そして「格差」社会が問題になるのも、その間を埋めていた「信用」が焼かれて機能不全になってるからです。

 「格差のなかった時代などない!」とか言ってふんぞり返ってるのはアホですね。

 途上国のように飢えてないんだからいいじゃないか、とかぬかしてる人は、社会ってものが見えてないんでしょうな。

 

 そして、また蒸し返しになりますが、経済学もまたイデオロギーになりつつあります。てか、もうなってます。それについては、またもうちょっとあとで。