不倫って文化なの?という疑問はあんまり素朴とは言えません

 先日娘とだらだらテレビを見ていたら、昔「不倫は文化」と言い放った人の娘が「当時はたいへんだった」とかいうような話をしていた。どこがどうたいへんだったのか要領を得なかったが、ちょっと娘に訊いてみた。

 

 「なあ、パパが不倫したらどうする?」

 「え〜……パパって変な女しか好きにならないからなあ……」

 「じゃあ、すらっとした美人とかならいいのか?」

 「それムリ」

 

 なんかいろいろ見透かされちゃってますね。もともと少ない威厳がどんどんなくなって、まるで昨今のギリシア経済のようです。

 

 「恋愛」というものは、12世紀頃中東で「発明」され、吟遊詩人によってヨーロッパに広まった、というのが定説になっている……と、学生時代に社会学の基礎講座で教わりました。

 12世紀って、遅すぎないか?『源氏物語』はもっと昔じゃん、と思えますが、こういう「社会制度」に沿ったものは「恋愛」じゃないんだそうです。ヨーロッパの騎士道物語に出てくる姫との結婚とかいうのも、「恋愛」とは違うわけですね。

 昔話でも「恋に落ちる」関係は、ほぼ12世紀以降に成立したか、そこで作り替えられているとのこと。

 人間の性欲ってのは、社会的制度にのっかってないと上手く機能しなかったのを、別な制度(システム)を「発明」して、ふわふわ飛んでくようにしたのが12世紀の吟遊詩人たちだった、と。「恋愛」はこのようにしてできあがりました。

 でもこれ、例外的事例なんかいくらでも出てきそうですけどね。よく知らんけど。

 

 不倫というのが恋愛の別名であるのなら、これもまた一種の制度(システム)なんです。それを文化と呼ぶかどうかは、まあ勝手にしやがれな感じですけど。少なくとも私は呼びません。

 自由なはずの恋愛が、なぜ制度化してしまうのか?

 それは性欲自体がもともと弱々しく、弱いくせに無指向性だからです。制度化しとかないとちゃんと拡大しないんです。

 そして、制度を得ることによって、食欲や睡眠欲などと並ぶ力を得ることができるのです。食欲や睡眠欲は個体の生死に直結しますが、性欲はそうではありません。古来「セックスできなくて死んだやつはいない」んです。

 ところが、それが制度になることで、ときに食欲や睡眠欲よりも強い力を持ち、ときに死に直結し得ることができるわけです。「愛のために」死んだりできるようになったのは、制度化されて以降、すなわち「恋愛」が「発明」されてから、のこととなります。

 そうして他の欲望にはない「制度」を有するが故に、性欲は人間の無意識に於いて特別な位置を占めているんですね。これに気づいたフロイトは、やっぱすごいです。

 

 ちなみに、妻に冒頭と同様の質問をすると、にっこり笑って「コロス」と答えてくれます。