吉田秀和が亡くなったそうなので中原中也について少しだけ

 吉田秀和氏が亡くなりました。

 享年98。亡くなる一週間前まで仕事の原稿を書いていたそうで、大往生と言っていいでしょう。

 なんか素っ気ない書き方になってしまっているのは、この人の文章をあんまり読んでないからです。NHKの『名曲のたのしみ』はよく聞いてましたが。

 「クラシックファンのくせに吉田秀和を読んでないなんて!」と思われるかもしれませんが、意外とそうしたもんです。著書の古本価格はたいして高くないし、高くない割に売れづらいし……と開き直ってもみっともないだけなんで、これから読んでみたいと思います。いかんなあ。

 

 で、なんで中原中也かというと、何年か前に『名曲のたのしみ』で中也の思い出を語ってたからです。

 そう、この人、中原中也と仲が良かったんです。てことは、とびきりのお人好しか、とんでもない根性悪かのどちらかですね。おそらく前者でしょうけど。「中也の詩だけを読んで中也を好きだと言えるやつがうらやましい」と立原道造が愚痴ってたくらいで、中也自身はかなりとんでもない人間だったそうですから。

 まあ、詩人だからねえ。

 詩人、てだけで何でも許されちゃうてのも、なんか、なんというか、ひでえ話ですけど。

 で、中原中也とつるんでたんですから、当然そこに中也と女を取り合った小林秀雄もからんでくるわけで、小林秀雄は後年『モオツアルト』とか書いてるわけですが、クラシック音楽の解釈については、中也に全然かなわなかったそうです。そして、当時の吉田秀和も。

 さて、そんな中也ですから音楽家ともつきあいがあり、音楽集団「スルヤ』に出入りしていました。『朝の歌』や『臨終』などいくつかの詩に、「スルヤ」にいた諸井三郎が曲をつけています。この曲、残念ながら聞いたことがありません。この機会にNHKで流してもらえないものか、と期待します。You Tubeに勝手に曲をつけたのがあがってるみたいだけど、多分別物でしょうし。死後勝手に曲がつけられたものより、やはり当人が存命中に作られたものを聞いてみたいものです。

 訃報のついでなので『臨終』の方の詩を写してみたいと思います。

 

 

 

臨終

 

 

秋空は鈍色にして
黒馬の瞳のひかり
  水涸れて落つる百合花
  あゝ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(をみな)の逝きぬ
  白き空盲ひてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪れてありぬ
  水の音したたりてゐぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?