原発と核武装もしくは軍事と新自由主義についてのちょっとだけマジメなメモ

 橋下とかいう人が前言撤回して再稼働容認だそうですが、予定通りの行動って感じですね、これ。全然驚きがない。だってこの人、「日本も核武装すべき」って言ってたもん。核武装容認で反原発とかありえないっしょ。似たようなこと言ってる人も、あとしばらくしたら何だかんだ言い訳しながら転向しますよ。テッパンで。

 原発をもう一度増やしたい人たちは、まあ利権もあるんでしょうけど、「核武装の夢」ってのも、もう一つの動機としてあると思います。プルトニウムいっぱいためこんでれば、準核武装国みたいな顔してられるわけですから。北朝鮮が憲法に核武装を謳ったもんで、なんかあせりまくってるんでしょうね。

 こんな政治的なことここで書いてもむなしいだけなんで、あんまりやりたくないんだけど、ちょっと頭の整理をする必要があるのでもう少し続けます。

 

 私の記憶が確かならば、橋下氏はTPP賛成で、経済的には新自由主義を支持してたと思います。

 新自由主義な人たちってのはちょこちょこ見かけますが、だいたい軍隊とか大好きですね。これ、ちょっと不思議だと思いませんか?

 だって、「軍」の「経済」って、まったく「自由じゃない」ですよね。むしろ「経済」だけ取り出せば、社会主義的な統制経済に見える。だいたい「軍」って存在がそもそも、まったく「不自由」なものです。とにかく規律規律で内部に「自由」なんかない。新「自由」主義の人たちが、一番嫌ってもいいような存在です。

 なんでそんな「信条に反する」ものが好きなんでしょう?

 

 冷戦以降、「軍」は「生産的」であるという仮面をつけられなくなりました。

 残ってるのは、対外的な「不信」を具現化したもの、です。「核」なんざ、その最たるものですね。

 要するに、「俺は俺自身しか信用できないよ」というのを、具体的に形にしてるのが「軍」であり、「核」なんですね。

 あ、言っておきますけど、クラウゼヴィッツとかもう古いですから。『戦争論』は「戦争」が「生産的」だった頃の残滓みたいなもんです。

 象徴的なのがイラク侵攻ですね。「大量破壊兵器があるに違いない!」て、「不信」の表明だけで「軍」を動かしたんです。政治の延長なんかじゃ全然無い。

 

 で、以前ちょっと書きましたが、新自由主義の人たちは、「信用」というものが大嫌いです。

 細かく言うと、「大して能力もない人間が実直に働いているだけで、有能な人間と同等かそれ以上の『信用』を得てしまう状況」というのを、不条理なものとして排除したいわけです。

 互いに信用するのが嫌いですから、とにかく競「争」して、昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵、な状況こそが「正しい」と考えるわけです。

 人間と人間の間に「信用」なんか無い方がいいわけですから、もちろん国と国の間も「互いに信用ならない」状況こそが「正しい」、と考えるんですね。

 なので、全然「不自由な」存在である「軍」を支持しちゃうんです。そして「核」が大好きになるんです。なんたって「軍」も「核」も、「不信」が具現化したものですから。

 ところが「不自由な」「軍」を支持しながら、口先では「自由」を唱え、「グローバリズム」なんてなことをぶち上げる。「グローバリズム」なんて、本来「不信」を肯定してたら進まないもんでしょうに。TPPなんて、「お互い全部さらけだそうぜ!」って話ですからね。

 こういうところにしょーもない矛盾があらわれちゃうのって、底が浅いなあとしか思えないんですが、どうでしょう。

 

 でもこれ、「じゃあ新自由主義者は平和主義になれば矛盾解決!」とならないとこが、なんとも味わい深いんですけどね。

 とりあえずこのへんで。