昨日の官邸前のデモは『紫陽花(あじさい)革命』と名がついたようですね。あじさいの花言葉は「高慢」
それは東電側にふさわしいといえるでしょう。
デモには参加しませんでしたが、気になったことを少々述べさせていただきたいと思います。
おそらく、というかこの先確実に、「中立的な」立場をとる「科学者」と「経済学者」が、これまで以上に強硬な姿勢で立ちふさがってくるでしょう。
え?って感じになるかもしれませんが、これもほぼ確実に、原子力ムラの方はだんまりをきめこむと思います。
なんでかというと、反対派の口を封じるのは「中立的な」人たちに任せておけばいいからです。
なんといってもムラに方には「権力」がありますから、黙っていても思う通りに流れを動かすことができる。反対派はなんにもありませんから、当然声を挙げざるをえない。
「中立的な」人たちは、否定も肯定もしませんから、否定するひと批判し、肯定する人も批判します。ただ、声をあげる人が否定する人(反対派)ばかりですから、その矛先は反対派の側だけに向かってしまうことになります。
こうした学者の声が多くなれば、なんとなく一般の人たちは「批判されるのは反対派ばかりだな」という印象を持ってしまうわけです。
ムラの方は、黙ってりゃ勝手に自分の都合にいいようにことが運ぶわけで、こんなラクなことはありません。
ただ、こうした「中立的な」学者を「御用学者」と切って捨てるのは感心しない方法です。むしろムラ側から意見を引き出すことを考えるべきでしょう。学者の中には、ただ「中立的」であろうとしてるだけで、知らずしらずムラ側にたってしまう人もいるわけで、そういう人の言うことは、どんなにおかしくとも取り合わない方が良いと考えます。
そうした上で一般の人には、上記のような構図があるので、どうしても反対派がおかしいような印象がふりまかれがちだ、ということを周知していただければいいのではないでしょうか。
はっきりとした「現実」に対峙する時、人は「中立」などではいられません。
それでもなお現実から目を背けようとするなら、その時「中立的な」学問は、カルト宗教と大して変わりない立ち位置になりますよ、とそれとなく「中立的な」学者に示唆することができれば一番効果的なんですが。
少なくとも、今も原発は放射能を吹き出し続け、多くの避難民が戻れない状況にあるという「現実」は揺るぎないものなのですから。
ここでこういうことを書いても無駄かもしれませんが、書きたかったので書きました。乱文多謝。
コメントをお書きください