あれは確か調布に越してきて間もない頃、ちょくちょく熱を出したり怪我をしたりしてた
娘をとある調布の病院に連れて行ったときのこと。
そこの小児科の待ち合いにはいろいろなおもちゃが転がっていて、壁には子供が落書きして遊べるホワイトボードがかかっていたました。
順番が来るまで文庫本を読んでいると、「パパ、パーパー!」と娘の呼ぶ声がする。
本から顔を上げないまま「なーにー?」と返事をすると、
「パパってば、これ読んで!」とややいらだち気味に呼ばれたので、やれやれと顔をあげると、ホワイトボードいっぱいに
「ぱぱ そんざい てなに?」
と大書されておりました。
(え?)と目を丸くしておりますと、「ねえねえ、そんざいってなーにー?」と娘が横からきいてきました。
ちょ、ちょっとまて。いきなりハイデガーの話とかしてもつたわるわけないし、どうすりゃいいんだ、と軽くパニクっていると、
「そんざい、ってどーゆー意味?」と。
「ああ、この世界に『ある』ってことだよ」
「ふーん」
「わかった?」
「わかんない」
「わかんなくてもいいよ。大体みんなわかってないから」
……一瞬『ソフィーの世界』に紛れ込んだのかと思いましたが、単なる「素朴な疑問」だったようです。
まあ、こんなドラマチックに哲学的なことを聞かれたのはこれが最後でしたけどね。
たまたまだったわけですが、それだけに印象深かったわけです。
で、最近は「実は存在よりも『存在しない』ことの方が重要ではないだろうか、と考えたりしてるわけです。
これ、実はつげ義春の『ゲンセンカン主人』論につながるんですが、本日はここまでで失礼させていただきます。
明日もう少し書きます。
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