5秒でできる「自分探し」

 「鏡を見ろ!」……という話ではありません。

 前回、自己の存在は「『存在してない』ということではない」という、否定の否定だという話を書きました。

 もっとわかりやすく書けないもんかなあ、と思いまして、そういやこれって「自分探し」と関わってくるよなあ、そこらへんからわかりやすくできないものか、と考えたわけです。

 

 自分はいまここにいる、逃れようもなく自分は自分で、自分は自分以外の何者にもなれない、と知りつつもついついやってしまうのが「自分探し」です。

 なんでそんなことをしてしまうかというと、自分が自分として確かにあるわけではなくて、自分が知ることのできないところに自分は存在できないので今ここに存在している、というなんだか消去法みたいななものだからです。

 宮澤賢治が「透明な幽霊の集合体」と言ってましたが、こっちの表現の方が直観的によくわかるかもしれない。

 神様でも信じてりゃ良いんでしょうが、とっくにお亡くなりになったと言われてますし。

 そんなあやふやで不確かなものなのに、ジョロウグモの巣にかかったツクツクボウシのように、もがけばもがくほどとらえられていくんだから、そりゃどっかに確かな「自分」を探してみたくもなりますわな。

 でも、あちこちうろつき回った挙げ句、結局自分は「今ここ」にしかいない、ということを再確認して終る、ということになるんですが、オチまでわかっていてもやらずにいられない、スーダラ節のような「自分探し」、さてさてどうすれば良いのでしょうか。

 

 まず、探す対象を考え直します。自分なんかいくら探したって無駄なんだから、「自分以外の」「はたらき」を探してみましょう。

 ときどきすごく嫌な思い出が間歇的にわき上がってきて、うっっとなることはありませんか?

 酷い時にはうっっどころか、悶え苦しみたくなったりしますよね。

 遠藤周作もそういうクセがあったらしくて、これで短編を書いてます。

 自分を探しちゃうような人は、必ず経験してると思います。

 あの現象、なんで起こるのか不思議だと思いませんか?

 冷静になって想い返してみるとわかりますが、だいたい自分が無防備に妄想してる時に起こりますね。

 なんというか、「俺ってすげえ」「ぼくってわかってるう!」「やることなすこと上手くいよね」というとき。

 これ、自覚的に自慢してるときは起こらなくて、無自覚に(無防備に)そういう状態になっちゃってるときに起こります。

 つまりこれが「否定」のはたらき、というか、機能です。

 自分が本来存在していないところに自分がいるかのような、本来持っているはずのない能力が身に付いているかのような、何もしてこなかったのに成果が上がったかのような、後ろ向きで動かないでいるのに上手くいっているかのような、そんなときにこの「否定」はやってきます。

 ただ、「否定」は機能のみで言葉を持ちませんから、嫌なことを思い出すという形でしかあらわれてこないんですね。

 「自分」はあやふやでも、この火花のような「否定」を認められれば、「自分探し」は終了します。それがしっかり機能しているなら、いつでも「自分」を取り戻せるからです。

 ほら、5秒ですんだでしょ?

 え、もっと短かった?

 

 で、ここからトラウマについて……はまた後ほど。もう少し続きます。