傷ついたり傷つかなかったり傷ついた振りをしたり傷ついてない振りをしてもっと傷つくことになったり

「傷つく」という言葉の枕詞に、「心が」とつくようになったのはいつのころからでしょう? 今じゃ単に「傷ついた」と言えば、「心が傷ついた」という意味で通ってしまいます。

 traumaもそうですね。元々は医学用語で単に「外傷」って意味なんです。フロイトが使用してから、もっぱら「精神的外傷」ということになりました。それから、これの英語発音はトラウマじゃなくて、トローマです。ドイツ語だとトラウマ。

 ウチの娘もしょっちゅう「傷ついた!」とかぬかすんですが、まあ、なんといいますかねえ……ちょっと好きなアニメについて親が文句を言ったくらいで、いちいち「傷ついた」とか騒ぐんじゃねえよ、と。そんなことで本当に傷ついた時どうすんだ、と心配になります。

「傷ついた!」

「傷つかないと人間は成長しないよ」

「傷ついた!」

「傷ついたら何をしても良いと思ってんのか」

「傷ついた!」

「傷つきやすいやつほど平気で人を傷つけるんだよ?」

などなど、応酬する日々なのであります。こっちはお前の学校の成績をみるたびに盛大に傷ついてる、っての。

 

 さて、およそ世紀末の辺りから、心の傷の一つや二つ抱えてないと様にならないという、流行のピアスのようにしてトラウマを見せびらかす風潮ができまして、それは今も続いてたりするわけですが、そんなちっぽけな「ちょっと嫌だった思い出」程度のことを針小棒大にふくらましてネットに書き散らしてる人とか見かけますけど、あれってどうなんでしょうか。「世の中平和なんだよ」でまとめといていいんでしょうか。

 前回、そういう「嫌な思い出」の機能について書いたんですが、上記のようなことをしてると、その「機能」を弱めることにしかならないんで、かえって自己の存在があやふやになってしまうんじゃないかと心配になります。

 

 本当にtraumaと呼ぶべき深刻なものでなければ、そのような「嫌な思い出」(おおよその場合、ちょっとプライドがへこまされた程度の恥ずかしいレベル)にこだわるのはいい結果をもたらさないのです。

「本来自分のいない場所に自分の存在を求める」ことをすると、「嫌な思い出」が投げつけられてくるわけですが、それをトラウマと呼んでなんとか無効化しようとしている人ってのは、ほとんど「(嫌な思い出を得る以前の)昔の自分に戻りたーい!」という無理目の欲望にとらわれていますね。だから、何度でも同じことを性懲りなく強迫的に繰り返す。本当にそこから逃れたければ、現在の自分の存在をはっきりと認識すること、すなわち人間として成長することがもとめられてくるんですが、そっちほうはイヤなわけです。

 

 時間は戻らない、それどころかその場にとどまることすら無理、ってのはわかってるはずなのに、なんか「自分だけは何とかなるんじゃないか」という、ちょっとズルめの考えに取りつかれちゃってるんです。

 それでも時の流れは容赦ないですから、ダメ人間もちょこっとづつ成長せざるを得なかったりするんですが、頑強に抵抗する人もいるんですね。そういう人は、たいしたトラウマでもないのに深刻な症状を抱えてしまうことになります。

 フロイトが診察した患者の中にも、拒食症の原因が「お兄さんが皿越しに痰壷に痰を飛ばすのを見たから」なんてのがいました。

 

 この程度の「嫌な思い出」すらこじらせると大変なわけですから、本格的なトローマはなおさら大変になります。まず、絶対やっちゃいけないのが、「傷つく以前の自分に戻ろうとすること」ですね。そういう無茶をすると、なぜかオウムに引っかかったりとか、ろくなことにならない。

 それを機に自己を変革しなくてはならないわけで、それに成功した時、人格は新たな陰影を獲得し、よりすばらしいものとなるのです。この「陰影」をユングはシャドウと呼びました。(「まんまやんけ」というツッコミは無しで)

 

 で、いきなり話は飛ぶんですが、原発が再稼働しちゃいましたね。

 ここで問題になってくるは、利権にこだわってる人とかよりも、利権なんかと何にも関係ないのになぜか原発を擁護してる少なからぬ人たちです。

 こういう人たちはいろいろ理屈をこねますが、その心の根っこのとこには「あの『原発神話』を信じてのほほんとしていられた時代に戻りたーい!」という欲望があります。

 まあ、テレビをつけりゃ相変わらずバカな番組ばかりやってるし、道を歩いても何一つ変わった風景が見られないんですから(もちろん被災地以外での話)、錯覚したくなるのも無理はないと思えなくもないですが、原発がぼこぼこ吹き飛んで一年以上たった今もさっぱり安定してない、という事実は厳然としてあるわけで。

 そう、原発事故というtraumaから目をそらしてるのは、「昔の自分に戻りたーい!」なんてことを喚いてるのと同じなわけで、そんなこと続けてればろくなことになりません。このテの人たちが多くなってくると、どっかで無理がきて社会的「痙攣」が起こるのではないかと危惧します。すでに兆候が現れてるように思えますし。大阪とか。

 

 なんだか高校時代に愛読した岸田秀みたいなものいいになってしまいましたが、ネットでややまわりくどく原発擁護してる人とかみかけると、腹が立つと言うより「あーあ」って感じにしかならないんですね。可哀相に、と。御愁傷様と手を合わせて終われりゃ良いんですが、実際なしくずしに再稼働しちゃってるんで、どうなることやらとげんなりするそんな梅雨のひと時なのであります。