『吾妻鏡』について今になって思い至ったこと

 『吾妻鏡』というものがあります。一応、鎌倉幕府の成立を中心にして、その前後について書かれている歴史書、ということになっています。

 なんか奥歯にはさまってるような物言いをしてるのは、昔読んだ時に「なんか北条ばっかりいい子になってないか?」というとこがひっかかったからですね。そりゃ北条氏が自分の正当性を確立するために書かせたんだから当然だろ、って話ですが、それにしても鎌倉幕府初期三代の将軍の扱いがひどいよなあ、というのがあるわけです。

 二代将軍頼家はわがまま放題のバカ将軍で、最後は風呂場できんたまつぶされて暗殺されちゃうし(あ、これは『愚管抄』の記述だっけ)、三代将軍実朝は現実になじめない夢見る夢男君だし。

 それに対して尼将軍政子はもとより、北条氏の面々はりっぱ!かっこいい!やんややんやの大合唱な感じですからねえ。

 

 で、思い至ったことというのは、三代将軍源実朝についてです。

 この人は将軍であり、なおかつすごい才能のある歌人でもありました。

 そして、一般には意外と知られてないことですが、船を作って中国に渡ろうと計画していました。

 きっかけは陳和卿(ちん・なけい)という人との出会いです。

 この人がむりやり実朝に面会して、「あなたは前世では医王山(日本じゃなくて中国の)の先生で、私はその弟子だった」と怪しさ全開のことを言い出したんですね。さすがに当時の人たちですら「なにそれ」と思ったようですが、実朝は「数年前に夢に出てきた僧が同じこと言ってた!」と真に受けっちゃった。

 そして、陳和卿を中国(宋)に送り届けて、ボクもいっしょに中国へ行くぞ!と渡航のための船の建造を命じた、と。

 

 この実朝のイタイタしいエピソードがなんか変なのは、この陳和卿という人は昔、源頼朝の招請を断っているってことですね。陳は仏教建築の技術者で、東大寺再建に関わっていたんですが、頼朝に対して「あんた人殺し過ぎ」と拒絶しています。頼朝はそれでもなお数々の贈り物をしましたが、陳は東大寺再建に役立つもの以外は送り返しています。それなのに、なぜ今さら実朝に自ら会いにきたのか?

 

 ここから個人的な憶測になりますが、実朝は陳和卿を中国に送り届けることを口実にして、朝廷を飛び越して幕府と中国の間に、直接の外交チャンネルを開こうとしていたのではないでしょうか。

 陳和卿はこの時、他の僧侶から濡れ衣を着せられたりとかして財産をはぎ取られ、すかんぴんになっていたそうです。声をかければ、昔のように強気にはでられないでしょう。

 そう、この場合、実朝の方から陳和卿に声をかけた、と考えるのが自然なように思います。

 そして前述のイタイタしいエピソードは、中国に送ってもらえるとなった陳和卿が、何のお礼もできないので、せめて言葉だけでもと最大限の感謝の念を表してみせた、と考えた方が良いんじゃないのか、と。もう、ただお礼を言うだけでは足らないので、自分の全存在を差し上げてしまうかのように「生まれる前からあなたにありがとう!」みたいなことを言うわけです。

 もしこの通りなら、事実を述べつつ順序を逆転させて実朝の印象を貶めた吾妻鏡の編者は、かなーり性格悪いなあと思います。

 

 この中国渡航計画、結局頓挫するんですが、それについても「船が上手いことできなかった」みたいな理由しか書かれてません。

 これも憶測になってしまいますが、中止の原因はおそらく陳和卿が死んだからではないでしょうか。陳和卿の最後についてはどこにも書かれてなくて、これもまた不自然なんですよね。憶測に憶測を重ねると、殺されたんじゃないの?とも思えます。

 実朝に「現実離れした夢想家」という印象をなすりつけるためには、こういう「操作」が必要だった、と考えたりしているわけなんです。

 

 大河で「清盛」もいいですけど、「真・源氏三代」とかやって欲しいなあと思います。無理か。