闇夜を疾走する我が永遠のヒロインの想い出

 あれは、高校二年の頃、ちょうど今くらいの時期のことだった。確か、梅雨明したばかりだと記憶している。

 晩飯の時、当時中学生だった弟が、やや興奮した面持ちで不気味な話を始めた。

 曰く、

「最近、人気のない夜道に変な女が出るらしい」

「◎◎も見たって言ってたし、X○のお兄さんは話しかけられたって」

「それは長い髪の女で大きなマスクをしている」

「それで『わたし、びじん?』って訊いてくるんだって」

「で、『うん』って答えたら、『これでも?』と言ってマスクとると、口からほっぺたが切れてて、倍くらいの大きさになってるんだってさ」

 

 ……そう、ご存知「口避け女」である。

 最初に「彼女」の噂を耳にしたときは、まだ新聞も週刊誌もテレビもとりあげておらず、「100mを8秒で走る」とか「ポマードが弱点」とかいう笑っちゃうようなキャラづくりもなされていなかった。

 ただ、本当に「おかしな女が夜にうろついてるから気をつけた方が良いよ」という話だった。

 高校で休み時間にこの話をしたら、クラスで知っていたのは私一人だったことも憶えている。

 そして、話を聞いた次の日の帰り道、いつも使っていた抜け道をやめて、なるべく人通りの多い道を選んで帰った。途中、人が途切れた時は全力で自転車をこいだ。

 

 「闇」というものが、あれほどリアルに感じられたことはなかった。

 以来、口避け女は私の心のヒロインだ。

 もし出会ったら、「一杯つきあわない?」くらいは言ってみたい。