「それは言わない約束よ」で出来上がっているいやげなきずなについて

 ゴールデン・ウィークのころ、中学二年生になる娘がなんとなしにつぶやくことには、

娘「あ〜あ、日本人が白人だったらいいのになー」

私「お前、それを口にするか(笑)」

娘「え?」

 いやあ、さすがリアル中学二年生。「中二病」という言葉がありますが、なんでこんな病名がついてるかというと、中学二年生というのは大人が口にすると恥ずかしいようなことでも、ばんばん表に出してくるからですね。

 そんなわけで、昨日に続いて「恥ずかしさの共有」です。

 

「ウチが大金持ちだったらな〜」とか「パパがテレビ俳優だったらな〜」とかも恥ずかしいですが、本当に恥ずかしいことってのはちらちら姿が見え隠れしても、決して口にされることはありませんね。

 そんな「言っちゃいけない百年の秘密」みたいなのが、

「日本人が白人だったらいいのに」

です。

 べつに白人コンプなんてのは昔の少女マンガに限らず、文学だろうが演劇だろうが映画だろうがそこら中に現れています。でも、改めてあからさまに言うなんて下品なことはしないように皆で気を使っていますね。こういうのが、「自虐」のモトになっています。

 

 「自虐」という言葉が使用され始めたころ、それは自国の歴史に誇りを持とうとか、かっこつけたことを言ってましたが、ようするに「白人になりたいな」という恥ずかしさの裏返しだったんです。だからみんな「自虐」という言葉を聞いたとき、なんとなく思い当たるような気がしたし、それを克服する方法を目にした時、これで恥ずかしさからのがれられるかも、と大挙してそっちにいっちゃったんですね。

 というと、保守的な人ばかりが恥ずかしい感じですが、坂本龍一も若い頃「なんでボクはクロードって名前のフランス人じゃないんだろう」と思ってたそうですから、こういうのは右左関係ありません。じゃあってんで、改めて「日本や日本文化の素晴らしさを見直そう」なんてのも、その恥ずかしさから眼をそらそうとしてるだけなんで、たいしてレベルは変わりません。残念ですが。

 

 日本は「恥の文化」とベネディクトが言ったわけで、『菊と刀』はやっぱ鋭いなあと思うんですが、さすがにこんな低次元で「恥ずかしさの共有」が行われていようとは、人類学者でもご存じなかった、ということでしょう。

 

 で、まあ、いいんじゃないんですかね。恥ずかしくて。

 いいじゃないですか、自虐的で。

 そういう恥ずかしさから眼をそらそうとすると、ろくなことになんないし。

 そうそう、妻もときどきこんなことを言います。

「あ〜あ、ウチのとうちゃんがもっと稼いでくれたらいいのにな〜」

 いや、これは、恥ずかしいというより、つらいですね。