床屋
瓦斯の灯が急に明るくなった。
「僕のひげは物になるだらうか」
「なりますとも」
「さうかなあ」
「も少し濃いといゝひげになるんだがなぁ、かう云ふ工合に。剃らないで置きませうか」
「いゝや、だめだよ。僕はね、きつと流行るやうな新しい鬚の型を知つてるんだよ」
「どんなんですか」
「それはね。実は西域のやり方なんだよ。斯う云ふ工合で途中で円い波をひとつうねらしてね、それからはじを又円くピンとはねさすんだよ。こいつぁ流行るぜ」
「今どこで流行つてゐますか」
「イデア界だ。きつとこつちはもだんだん来るよ」
「イデア界。プラトンのイデア界ですか。いや。アッハッハ」
「アッハッハ。君、どうせ顔なんか大体でいゝよ」
…………
中学時代の賢治は、猫背で反っ歯でがに股で色白で太っていて、学校の成績は中くらい、スポーツの類いは全くダメ、歌えば音痴、楽器はできず、栽培作物どころか動植物への興味もなく、字もヘタクソで、詩を書いても同級の生徒に劣っていた。友達と呼べる人間も一人しかいなかったという。
…………
羽田正による回想。
「堀込さんの結婚式に、私もまいっておりましてが、いろいろ話しているうちに、ひょっと(賢治が)言ったのですがね、『世間の人は、みんな私を童貞だと思っていますよ。ハハハハ』」
…………
賢治は大量の春画をコレクションしており、蔵書にはハバロック・エリス『性学大系』の原書もあったという。また、花街に泊まったこともあったことがわかっている。
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