ほとんど知られていない江戸時代の日本人数学者についてメモしておこう

 Peter Hartsinckという人がおりまして、ネットで検索かけてもちょこっとしかひっかかりませんね。

 この人は鎖国していたはずの江戸時代、なぜかライデン大学に在籍していました。学籍簿に「日本人」として載っているそうです。

 さらに、『Geometria å Renato Descartes(デカルトの幾何学)』(Giovanna Vacca注釈、Fransiscus van Schooten編訳)という、1683年にアムステルダムで出版されたテキストの楕円軌道の解説の部分に、「数学の才能に優れた日本人Petrus Hartsingiusの研究による」と注記されているそうです。Petrus Hartsingiusってには、Peter Hartsinckのラテン語形ですね。普通にはペーテル・ハルチンクと呼ばれていたはずです。

 

 この人は結局日本には帰れなかったようです。

 ただ、初代鳩野宗巴(熊本の医家)に「鎖国の禁を冒してオランダで医学を修めて帰った」という伝承があり、この人なのではないかと言われたこともあります。が、確証はありません。

 医学と数学では別のような気もしますが、学籍簿には

 

29Aug1654 Petrus Hartsing Japonesis 20,P

28Aug1660 Petrus Hartsingius Japonesis 22,M

6May1669 Petrus Hartsingius Japonesis 31 M.Hon.C.

 

とありまして、最初のは日付、最後は年齢と学位。Pはphilosophy、Mはmedicinなので、哲学と医学を修めていたのがわかります。あ、Hon C.はhonoris causaで、名誉学位ですね。数学者、と紹介しましたが、唯一名前が残っているのが数学書ですし、おそらく当時の大学では数学を修めると、哲学の学位にされたんじゃないかと思われますのでそうしました。あと、日付と年齢に矛盾がありますが、最初の入学時は適当にウソついてたんじゃないかと推測できます。16歳じゃたぶん入れてもらえなかったでしょうから。

 

 暑い日が続きますので、こうした歴史のロマンを一服の清涼剤としていかがでしょう。