奇跡とは以前と変わらぬものがそこに再び現れることでそんなことが無理だというのはわかってるってば

 高校から30代頃まで、マニアというほどではなかったがオーディオが好きだった。

 決定的に金が足らなかったので大したことはできなかったが、それでもン十万はオーディオにつぎ込んだ。マニアともなれば数百万、数千万の世界なので、これでもヒヨッコのレベルだ。ラジカセで満足な人から見れば、馬鹿げた世界と思えるだろう。

 

 なぜそんなにも音にこだわるのかというと、何も無いところに「何か」が再現されるのが心地よいからだ、と思う。

 それが「良い音」であればあるほど、何も無い場所に人や楽器やその他の諸々が現れるのを感じることができる。だから「良い音」のためなら金も手間も惜しまない。ちょっと新興宗教っぽくもあるけど、こちらには確実で明白な「ご利益」がある。もうからんが。

「そんな金があるんなら、ライブやコンサートに行った方がいいだろう」というのは全くの正論だが、ライブでは「再現」という、一種の「小さな奇跡」が起こることがない。オーディオ好きにとって、そうした「一度は終ったもの」が全然別の空間にもう一度立ち現れる、というのがイイのだ。

「全く同じものは二度と現れない」とフロイトは実もフタもないことを言っていて、それはまったくその通りなんだけど、それでもそれを求めてしまうのが人のサガ、マニアのビョーキというやつなのだ。

 

 さて、そのオーディオなんだが、スピーカーについては圧倒的にヨーロッパのメーカーのものの方が評価が高い。そして、値段もとんでもなく高い。スペックだけ見れば日本のメーカーを選んでも大差ないように思えるが、やはり違うものは違うのだ。以前とあるレコード屋さんでタンノイのスピーカーでフルトベングラーを聞かせてもらったが、自分のン十万程度のスピーカーとは天と地の差があった。

 再生周波数帯域等のスペックは大して変わりないのに、何がこの差をもたらすのか。やっぱ値段?

 

 これに関しては、学生時代、某オーディオマニア雑誌で読んだコラムがまだ印象に残っている。

 なぜヨーロッパのスピーカーは良いのか?

 それはポリシーがあるからだ!!

 うろ憶えだが、こんなような感じのやや胡散臭いタイトルだったと思う。

 で、その「ポリシー」の中味というのが、

「とにかく、人間の声を人間の声らしく再生する」

 ということだった。

 つまり、スピーカーから流れ出る人の声が、本当に人らしく聞こえるのならば、スペックの数字なんかどーでもいい、というわけ。

 やたら数字の並んだカタログとにらめっこばかりしていた自分には衝撃的だった。

 言われてみれば、「音」の追求ならばそちらの方が正道のような気がする。

 

 で、ここからちょっと妄想がかった提案なんだけど、最近凋落気味の日本のオーディオにも「ポリシー」をもたらすことはできないだろうか?

 「人の声」云々ではものまねになってしまうから、たとえば「風」を再現する。

 「とにかく風の音を再現することに最適化した」オーディオを造る、とかいうことはできないものだろうか。そうしたポリシーの元に造られたコンポで、ジャズやクラッシックを聞けば、また格別の味わいがあるだろう。近年話題に上ることが多くなった鉄道オタクが、録音した蒸気機関車の音を再生するのもいいかもしれない。

 そしてさらに「とにかく水の音を再現することに最適化した」オーディオも造る。こちらはロックやポップスを再生するのに適しているだろう。鳥の鳴き声の再生なんかも、こっちの方がいいと思う。

 

 「風」「水」だなんて、なんだか玄関をピカピカにすると運がむいてくる占いみたいだけど、どっかで本気で考えてくれないかなあ、と願っている。

 そういえば「オーディオの世界はオカルトに近い」と誰かが揶揄してた(タモリ?)が、こうして書いてみると……やっぱ近いな。うん。

長岡鉄男のオリジナルスピーカー設計術 基礎編 SpecialEdition 1