古本屋がなかなか滅ばないのは滅んでも誰も気にしないからかも知れない

 とうとうニホンカワウソが絶滅と認定された、という報道がありました。

 以前から「もうダメだろう」「いやまだまだ可能性が」という具合でしたから、「もういい加減あきらめようよ」ということなのでしょう。その昔は、江戸市中の河でも普通に見かけたというのがウソのようです。

 

 逆に、古本屋というのはなかなか滅ばないですね。わりとしぶとい。

 そのせいか、書店の数が減るとニュースになるのに、古本屋の数が減っても皆知らんぷり。某ブッ○オフがつぶれたらさすがに騒ぐでしょうけど、あそこは新古書店で古本屋じゃないし。でも、昔は日本中の街に一軒は古本屋があったそうですが、今じゃ県庁所在地でもまばらにしかありません。

 でも、カワウソと違ってなかなか滅ばない。

 

 先日、妻と娘が山歩きのグループに参加して御岳へ言ってきたんですが、夫が古本屋だと言うと、「大丈夫なのそれ?」と同行したおばさま方に訊かれるんだそうです。帰ってから妻が「失礼な!」と怒ってました。

 でもまあ、そういう失礼なことを訊きたくなる気持ちも、わからないではありません。

 なんかへんな風に勘違いされてることが多いですからね、この商売。

 勘違い、というので思い出すのが、店を始めた頃に依頼された買取でのやりとりであります。

 

 ある日、電話で出張買取の依頼がありました。電話での申し様は「とにかく来て。それで全部持ってって欲しい」とのこと。「全部持ってって」はよく言われることですのでなんとも思わないのですが、「どのくらいの分量か」とお訪ねしましても、「とにかくたくさんあるんだ。できるだけ早く来て」とおっしゃるばかり。

 で、近所なのでとりあえず伺ってみると、けっこう立派なお宅で、本はすでに玄関先に積み上げてありました。文庫と新書と単行本が少々。ざっと見て全部で百冊くらい。内容は、一時期流行った企業ものの推理小説が主で、取り立てて値の張るようなものはありません。本の状態は……、まあブッ○オフなら全部置いて帰るレベル、というか、ブッ○オフを呼んだら「これは買えないから」と残していったので、それをなんとかして欲しいということでした。こっちは独立したばかりの駆け出しでしたから、そういうのも仕方が無いなと思い、なんとか値段をつけました。

「えー、申し訳ありませんが、全部で◎△○円ほどなんですが」

「君、なんか間違えてないか」

「は?」

 お客様は五十がらみの、なんというか、会社の重役などにいそうなタイプの方です。

「君はこれ、一冊いくらの勘定で売るんだ?」

「まあ、百円ですね」

「これらは全部で百冊はあるよね?」

「はあ」

「じゃあ、全部売れたら一万円になるじゃないか。最低五千円で買うのがスジというものだろう」

 

 ……ちょっとここから以降のやり取りは控えさせていただきます。

 結果としては、最初の査定に少し上乗せして買取し、見事なほどまったく売れませんでした。

 こんな商売やってりゃねえ、そりゃ「大丈夫なのそれ?」くらいは言われますわな。

 しかし逆に、こういう商売だから滅ばない、ということもあるのではないかな、という気がしないでもないようなそんな残暑のまっさかり。なに言ってんだ、自分。

 

 『獺祭』という酒があります。

獺祭(だっさい) 純米大吟醸 飲み比べ 180ml×3本セット 専用カートン入

 この名のモトになった獺祭(だっさい)というのは、カワウソが捕った魚を川べりに並べている様子なんだそうですね。昔、唐の李商隠という詩人が、書籍を部屋中に広げて思索する様子がそれに似ているということで、書物を良く読み、そこからたくさん引用することを『獺祭』と呼ぶようになった、とのことです。正岡子規は自分の書斎を「獺祭書屋」と名づけ、自らも「獺祭書屋主人」と名乗りました。

 カワウソは滅びましたが、古本屋はしぶとく生き残りたいものです。