昔々映画館のイスは映画を見つめることは苦しいことだと語るかのように固かった

 最近の映画館の居心地の良さは、少し恐ろしくなるほどだ。どのくら居心地が良いかというと、うっかり住み着きたくなるくらい。ここでオールナイトなんぞ見ようもんなら、一本見るか見ないうちに撃沈するのは必至だろう。

 その昔、映画館のイスといえば固く狭く、一刻も早く客を追い出そうとしているかのようで、映画を見るということはまず、イスから伝わる観客を拒否する意志と闘うことから始まるのだった。けっこうマジで。

 それでも観客たちはしぶとく、寝るやつは大いびきで寝るし、当然デート映画ならいちゃつくやつもいるし、おばはん二人組はおしゃべりに余念がなく、夏休みともなればガキどもが走り回り、冬になれば咳とくしゃみのオンパレード。ええ、これはある特定の映画館の話です。今は亡き文芸座の。

 思い出してみれば、タルコフスキー・オールナイトが終った時、起きてるのは私独りで、最後のエンドロールを鳴り渡るいびきの海の中で見ることになったし、『カオス・シチリア物語』を見たあとで、異様に塩素臭いおっさんから「今の映画について語り合わないかい?」とお誘いを受けたり、『ターミネーター2』を見ていたら、いきなり後の席で殴り合いが始まったり、なんだかろくなことを思い出さないので、フェリーニの二本立てを見ていた時大きな音でおならをしてしまったことくらいは許して欲しい。すんません、臭かったですか?もう二十年以上前のことですから忘れてますよね?

 

「男なら一度はやってみたい職業」というアンケートが確か文言春秋で昔やってて、「プロ野球の監督」と「オーケストラの指揮者」の次くらいに「映画監督」が人気だったと思う。

 その夢の職業を娘が務めたのは、中学生だけの夏休み製作とはいえ慶賀すべきことであった。ぱちぱちぱち。

 さて、以前「オーケストラの指揮者」については、「指揮者死ね」で意志統一されているというジョークを披露したが、「映画監督」は指揮者ほどに「権力」は確立してない。そりゃ巨匠と呼ばれるくらいなら、どんなわがままも許されるかも知れんけどね。あ、「オーケストラの指揮者」はへぼでも一応「マエストロ(巨匠)」と呼ばれるんで。

 えー、で、『アギーレ、神の怒り』って映画があって、ヴェルナー・ヘルツォーク監督で、クラウス・キンスキー(ナスターシャ・キンスキーのパパ)が主演なんだけど、この映画はまさに「呪われた映画」で、撮影中は難行苦行の連続だったそうな。

 主に、パパ・キンスキーの傲岸不遜傍若無人のせいで。

 現地で雇ったエキストラがあまりの酷さに監督を哀れに思い、ある晩ヘルツォークにこう持ちかけたそうだ。

「旦那、俺がキンスキーの奴を殺してやろうか」

 監督は思わずその提案を受け入れそうになったが、ギリギリで踏みとどまったとか。

 撮影スタッフが全員ぼろぼろになりながらも映画は完成し、公開後は賛否両論あれど評判は上々、しかし問題はキンスキーの監督への傲岸ぶりがますます増大したこと。

 またある晩、ヘルツォーク監督は独りで飲んでいるうちにキンスキーへの殺意が沸々とわき上がり、家に火をつけてやろうとキンスキー邸へ行ったそうだ。さあ、どこから火をつけたものかと家の周りをぐるぐる回るうちに酔いが醒めて我に返り、明け方とぼとぼ歩いて帰ったという。

 

 おしまいに、こんど観に行きたいと思ってる映画を二つ。

 まず、ソクーロフ監督『ファウスト』

 それから、またイラン映画、と言ってもいいのかどうか、アッバス・キアロスタミが日本を舞台にして撮った『Like Someone in Love』