現実という名の夢はなかなか醒めないし醒めたと思ったら別な夢の中にいたりするので厄介だ

ステキな金縛り スタンダード・エディション [DVD]

 最近とんとご無沙汰だが、子供の頃はたびたび「かなしばり」というやつにあった。

 初めてその状態になったときはまだ小学校にも上がっておらず、(もしかして自分は死んだのではないか?)と思ってとてつもない恐怖に襲われた。それから何度か同じ目に遭ううち、(ははあ、どうやらこれは、体が寝てて頭だけ起きてるんだな)と思い至った。小学一年のうちから学研の「かがく」と「がくしゅう」のうち、「かがく」だけ読んでいたような子供だったので、その辺は妙に冷静だったのだ。しかし、頭でわかっても、かかったときの苦しさと恐怖は変わらない。それに父母や親戚に相談しても、誰も同様の目にあったことがないらしく、(何を妙なことを言い出すんだこの子は?)とでも言いたげな目できょとんと見つめられると、なんだかひどく傷ついた。当時はまだ、「かなしばり」という現象も言葉も一般に周知されておらず、これを「かなしばり」と呼ぶのだと知ったのは、高校も三年になってからのことだった。当時は受験のストレスで、しょっちょう「かなしばり」になっていたのだ。いや、その前に中学時代横溝正史の『八ツ墓村』を読んでいて、寝ている主人公が同様の状況になる描写を見つけて、(あ、俺だけじゃないんだ)と胸を撫で下ろした。ちなみに、『八ツ墓村』でも「かなしばり」とは表現されていなかった。

 

「かなしばり」の何が怖いと言って、なかなか夢から醒めないというのが一番怖い。夢を見ているうちに「かなしばり」になって、(あ、これは夢だ)と気づいて必死に起きる。ほっとするのもつかのま、また「かなしばり」が来てこれも夢の中だとわかる。そんなことが何度も何度も何度も繰り返され、夢の中から出られなくなってしまうのだ。

 仕舞いには、やっと本当に目が覚めても、しばらく(これも夢なんじゃないか)と疑ってしまったりする。困ったもんだ。

 

 しかし、この「現実」の世界にも「夢」の罠はたくさんある。

 しかもその「夢」を「現実」だと言い張ってやまない人たちがたくさんいたりするんで、ちょっと困る。

 たとえば

「弱肉強食」「強いものが必ず勝つ!」「金さえあれば何でもできる」「偉い人はそうじゃない連中に何をしても許される」

「美人は得だ」「醜いよりも美しい方が良い」

「若いというのは素晴らしいことだ」「老人は全てにおいて若者に劣る」

「昔は良かった」

 などなど。

 これらの事柄が「夢」だとわかるのは、実際にその「夢」を「現実」のものとして生きている人を見ればわかることだ。

「俺けっこうやる方だから、ひとにらみでチンピラが逃げ出すくらいだよ」

「すごいアイディアがあるんだ。俺は将来絶対に大金持ちになる」

「ぼく天才なんだよ。知らないの?」

「この私、今はこのような成りをしておりますが、元はと言えば皇室につながる家柄で…」

「実はあたし、女優なの」

「なんか外に出るとみんなちらちら見てくるし、美人って面倒だよね」

「とし?今年で14だよ。永遠に14」

 

 人の妄想にはパターンがあって、必ず「今の自分よりも」偉いか強いか金持ちか有名人か美人か、ずーーーーっと若いか、で逆がない。

 妄想で子供に戻る人はいても、老人になる人はいない。

 時間の流れに逆らって、昔に戻ろうとするのはとても「現実」的とは言えないのに、時折そういう矛盾を平気で口にする「現実主義者」を見かけるので、なんというか、頭痛がイタい。

 たぶん、そういう人たちが口にする「現実」は、全部「夢」なのだ。

 お釈迦様っぽく「幻(マーヤー)」と言っても良い。

 温故知新というが、温故だけあって知新のない人たちは、いつ夢から醒めるのだろう。

 と言っても、自己卑下してりゃいいってわけでもないけどね。