愛について語ってみようと思う。柄にもなく。
こういう大きな話題は気が楽だ。どうせ大した話にならないことが最初からわかってるから。
ストーカーは何を愛しているのか?自分だよ、自己愛の変形なんだよ、なんて安っぽい解説はいらない。
ストーカーは「愛」を愛してる。
だから愛の対象は思うままになるはずだし、ならない方がおかしいと信じてる。いや、信じてるどころか、それは世界開闢以来の真理だとすら考えてる。
愛ってすごいね。
ストーカーが迷惑なのは、愛してる対象が「愛」そのものだから。自分がなんかおかしい、ということに気づけないのはそのせいだ。だって愛は地球を救うんでしょ?
母親がストーカーになると子供はたいへんだ。子供を愛していないのに「愛」があるから、あれしちゃいけないこれをしろ、あれ見ちゃいけないこれを見ろ、自分で考えるなこう考えるべき、とまあ、こういう具合になる。
いつでも子供の代わりにママがやってママが見てママが考える通りにする。子供がちっちゃいうちはまだいいかもしれないけどね。
そんな母親に育てられた子供は、りっぱなストーカーに育つだろう。
そして「愛」を愛するようになる。
愛のベクトルはいろんなものに向けられる。それは、ちょっと筆箱を拾ってくれただけのクラスメイトだったり、テレビでよく見る歌のヘタなアイドルだったり、トンボみたいな目をしたアニメの女の子だったり、駅前で手相を見てる宗教だったり、国家だったり。
今朝の新聞でとってもステキな笑顔を見た。
燃え上がる炎をバックにしたその笑顔は、ママに誉めてもらった子供のように無邪気で、「愛」に満ちあふれていた。
きっとたくさん愛されて育ったんだろう。行動も見聞も思考も、全部ママがやってくれたのだろう。
でもさ、君たちは大事なママがバージンだと信じてるかも知れないけど、実は娼婦なんだよ。
ウィーン会議以降、国家は娼婦たらねば生き残れなくなったんだ。ちびでスケベなナポレオンのせいでね。
やっぱり大した話にはならないな。
「愛」を愛する人は、愛なんておかまいなしに愛するからね。
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