初めて『君主論』を呼んだのは中学の時だった。正直さっぱりわからんかったけど、わかったような気になったのでわかったふりをしていた。
次に読んだときは大学生になっていた。なんか、それなにりに興奮した。
で、今読むと、これがなんで名著なのやらさっぱりなんですわー。
だってこれ、「ぼくがかんがえた さいきょおのおおさま」じゃないですか。なんでみんなありがたがるんだろ。やっぱり大学生だった頃の私のように、読んでる間は自分が「権力者」になれたような気分になるから?それじゃあ、銃も触ったことがないのにハードボイルドにあこがれたり、キャッチボールもしたことないのにドカベンを愛読したり、外務省のエリート官僚がゴルゴ13を全巻持ってたりとか、そんな程度の罪のないものなんですかね。ああ、そうそう、なんでエリート官僚ってエリートのくせにゴルゴ読んでる人多いんでしょ。古本屋はみんな不思議がってますよ。大丈夫ですか?
マキャベリは実際にチェーザレ・ボルジアと親交があり、チェーザレを理想として持ち上げてるんですが、このチェーザレってのも評伝などを読むと大したことないんですわ。
いやまあ、暗殺とか色々やってんですけど、けっこう行き当たりばったりな感じだし、最期は教皇やってたおとっつぁんが死んだらぐだぐだになっちゃうし、そりゃ「輝くような美青年」が権力を振るってイタリア統一に向けてGO!!なんてロマンチックでいいな、とは思いますけど。
謀略なら毛利元就の方が百倍すごいし、あと権力者として情報と経済をたいして重きをおいてないってのもどうかと。そういう部分から言ったら豊臣秀吉の方がずっとすごいですよ?わかりやすく日本の武将の例を出しましたが、チェーザレ以上の人間なんて、歴史をちょいと見回せば腐るほど入ると思うんですが、なんで今だチェーザレを理想化した『君主論』なんぞありがたがらんといけないんでしょ。
政治家がこんなの読んで「座右の書」なんかにしてたら恥ずかしいですよね。いい歳こいてビアス『悪魔の事典』を本棚に置いてくらい恥ずかしい。あ、ビアスの『アウル・クリーク・ブリッジ』は掛け値なしの傑作ですんで、一応。
もしかして『ボルジア家の花嫁』が面白いからかな。でも、『花嫁』って97%くらいフィクションですよ。
ちなみに、マックス・ウェーバーはインドの『実利論』(カウティリヤ著)を読んで、「これに比べたら『君主論』なんか子供の遊び」と言っております。
(『ニーティサーラ』は『実利論』を参考にして書かれたもの)
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名無し (水曜日, 01 1月 2014 22:59)
大学生ごときがわからんだろ。
30代になってから読め