下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり

 えー、本日を持って五十歳となりました。生まれてこのかた半世紀、大した感慨もありません。というか、ほんとかよって感じですね。マジ?ねえマジで?てのが偽らざる感想です。

 とはいえ、こないだ寝転がってたら、私の頭頂部を見た娘が

「パパもれでぃーすまーぷしたらー?」なんてぬかしやがりましたので、「俺はれでぃーすじゃねえー!」と切り返したりしました。え?問題は別にあるって?いやーいいですよもう、いちいち言わなくて。ほんと。しかも妻には「寝顔が六十三歳だ」なんていわれる始末で、さあ、もうなんでもかんでもどんとこい、と腕組みして吹きすさぶ西風に向かって高笑いしたいような心地なのであります。フ、フハ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……

 自分でも何書いてんだかわかんなくなってきました。

 

 ところで「人生五十年」といいますから、これから余録を味わう日々なのでありますが、この「五十年」てのは別に信長が決めたわけじゃありません。幸若舞「敦盛」の一節だってのは信長の小説読んだ人はみんな知ってると思います。

 が、それより以前に、これは仏教から来てるんです。

 浄土の一日は下界の五十年にあたるんで、人間の一生なんか仏さまから見たらたったの一日の出来事なんだよ、て意味合いなんです。

 なんか、なんというか、ちょっとやな感じがしますね。

 

 

平曲 正調平家琵琶 節物「敦盛最期」