落語家十代目金原亭馬生は、自分の誕生日がわからなかった。一応戸籍に登録されている誕生日はあるのだが、父親の古今亭志ん生赤貧洗うが如き中で生まれたので、かなり役所への届けが遅れたらしい。志ん生の記憶では「うだるように暑い日だった」というが、戸籍の生まれ月は1月になっている。冗談抜きで、大正の生まれなのか昭和の生まれなのかも定かではなかった。
自分が本当はいくつなのかわからないというのも、なんだかコンニャクの座布団にのってるようで据わりの悪い話なので、長じて父親の志ん生にきいてみた。
「おとっつぁん、実際のとこ俺はいつの生まれなんだい?」
志ん生、いらえて曰く。
「……生まれたんだから、それでいいじゃあねえか」
これ、けっこう好きなエピソードです。落語家ってのはいいですね。
「自分がいくつなんだかよくわからない」なんてのは、考えようによっては幸運に思えます。今は戸籍ががっちりしてますからねえ。ちなみにこれ、一応法律に触れるんで、当時ばれてたら志ん生は罰金くらってたでしょうね。払えなかったと思いますが。
さて、この馬生は志ん生と違ってけっこう堅物で、普段着もずっと和服で通し、書画は玄人はだし、ただ酒の方は志ん生の血をついで底なしだったとか。
この人の娘が女優の池波志乃なんですが、その娘が中尾彬と結婚するときこのおっさん、
「お前ね、結婚のお披露目なんてものは、ちょいと蕎麦屋の二階を借りてつつましくやるもんだよ」
なんて言い出したものだからさあ大変。
池波志乃は某老舗の蕎麦屋に頼み込んで二階をあけてもらい、そこへ芸能界の関係者をぎゅうぎゅうに詰め込んでお披露目をしたのだとか。
なんつーか、いったんこうだと決めたら、なかなか曲がんない人だったみたいですね。
ちなみに池波志乃もかなりの酒豪として知られているそうです。
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