夢さめて夢なる夢は夢の中夢見る夢は夢のまた夢

 よく「つまらない話」の代表として、「夢の話」てのがあります。将来の夢とかでなくて、夜見る夢の方。他人の夢の話ってのは、面白がってるのは当人だけで聞かされてる方はひどく退屈だ、というわけです。

 では、どうして退屈なんだろう?

 夢ってのは無意識の現れで、せっかく人が普段は恥ずかしくて口にできないような無意識の欲望をだだ漏らしてくれてるんだから退屈なわけがない、はずなのに。少なくともしゃべってる方はそう思ってる。

 そのわけは、夢を語ることの難しさにあります。

 夢なんてのはおおむねデタラメでつじつまがあわなくて、それをそのまま語ったりすると、空間も時間もめちゃくちゃで、特急列車に乗っていると隣の座席の人がタンスをあけ出したのでこないだ泥棒が入ったからタンスに気をつけろとキッチンで妻に話すと小銭が机の端に積み上がっていて犬にみつからないうちに隠そうと考えたのは五年前の話だったと証人になってくれる人を探さなくては…という具合に何がなんだかわからない。

 夢というのは、改めて語られた時点で「語られた夢」になってしまうんです。だから、なんとなく「語られた」部分が見え透いて退屈になってしまう。夢は語られたとたん「妄想」に形を変える。

 狂人の妄想ってのも、おおよそ見え透いた欲望によって組上げられてて、芸術的なインスピレーションのひらめき、なんてのは百万人に一人くらいです。ただ、夢の話は退屈なだけですが、狂人の妄想は不快さがある、ってとこが違います。なぜなら、夢は「語られる」ことを前提としてませんが、狂人の妄想は「語られる」ことをつねに「欲望」しているからです。

 そしてそれゆえ、夢そのものの分析というのは困難を極めるんですね。だいたい夢について語っている人がウソをついてない保証なんかどこにもないし。

 

 私は雪の中の凹みを、規則的な星形のようなもの、影の結晶の形のようなものを見いだす。猟師であれば、そこに一匹の野ウサギが残したま新しい足跡を認めるであろう。その場合、そこには二つの異なった生きられた状況があるのだということになる。そして、一方が他方よりもより多くの真実を含んでいるのだなどと考えるのは無駄である。ただ、第二の構図においては、指標作用の本質が明かされているのに対し、第一の構図においてはそうではない。雪の中にうがたれた小さな星形がひとつの記号であるのは、猟師にとってだけである。このことが意味しているのは、猟師の方が私よりも多くの連想材料を有していて、ひとつの知覚をきっかけとして、同一の状況において私には欠けている野ウサギのイマージュを彼が自ら連想したということではない。ここにおいて、連想は指標作用の構造に対して派生的なものにすぎないのである。連想は、指示する指標と指示されるものの本質の中にすでに記入されているひとつの構造を、点線の状態から実線の状態へと移行させるにすぎないのだ。

(ミシェル・フーコー『夢と実存』への序論より)

 

 

夢と実存 

 

 夢って、たいがい忘れますよね。

 憶えていてもほんの最期の方だけで、夢の始まりを記憶していることはめったにありません。人生と似てる? 一期は夢よ、ただ狂へ、とかね。

 てか、夢ってのは忘れてて当たりまえだし、憶えていない方がいいと思っています。無意識に対してそうそう自覚的である必要もないでしょう。

 イヤなことがあったら、イヤな夢を見て、その夢を忘れることで、人は少しづつイヤなことを忘れられるんだと思います。こういう夢の忘却機能について、精神分析方面の方はあんまり評価しませんね。おまんまのネタが減っちゃうからでしょうか。まあいいか、そのへんは。

 

 忘れてもいいこと、忘れた方がいいことを語るのは、自らの欲望に対してある「あきらめ」を持たなくてはなりません。カフカはそれが「できる」人でした。

 この「欲望」ってのは、無意識に沈んで隠されたとたんに腐臭を放ち始めます。腐ってどうなるかというと、「権力」の原型に形を変えます。その原型ってのは、ボウフラとかゾエアとかベリンジャー幼生みたいなもんです。「権力」はよく、つやつやのぴかぴかの巨大なハンマーみたいなものとして現れたりしますが、その元々の元、始まりのそのまた始まりってのは、サナダムシの吸盤のような、ヒザラガイの腹ような、ハリガネムシの鈎のような、そんな感じの「キモイ」ものなんです。

 ぐにょぐにょになった「欲望」のげにゃげにゃした「権力の原型」の部分を書き写すには、欲望の輪郭への容赦ない視線が必要です。だれもが遠巻きにして見ている輪郭を拡大し、毛筋の一本一本まで描き出すためには、自分自身もまごうことなく「権力を欲望」する人間であることへの「あきらめ」が必要なわけ。

 だからカフカは、夢以上に夢らしい夢を生々しく描き出すことができたのです。

 それができる人は、カフカ以降でも、ほとんどいない。

 カフカがちゃんとお手本を見せたのに、マネしようとしても上手くいかない。だからカフカの小説は今もそのすごさが変わらないのです。

 

 

  

 

変身 (新潮文庫)

城 (新潮文庫)

 さて、最後に私が今まで見た中で一番印象的だった夢の話を一つ。

記憶してる中で、ちゃんとつじつまが合ってるのはこれくらいなんです。てか、まるで小説の用立ったので、よく憶えているわけで。

 え?最初の話と矛盾してないかって?まあいいじゃないですか。いつものことですよ。

 

…………

 小学生の私は同級生の女の子に誕生パーティーに招かれ、女の子の家へと出かけた。

 そこは広壮なお屋敷で、門から邸宅まで長々とした石畳が続いていた。

 空はピカピカに晴れていた。

 真っ白なドレスに身を包んで出迎えてくれた女の子といっしょに石畳を歩いていると、途中の道のわきに木でできた粗末な作りの大きな檻があった。

 檻の中には、真っ黒な毛むくじゃらの怪物がまるくなって寝ていた。

——これは、◎◎の血を引いているのよ。

 と女の子が教えてくれた。(◎◎は思い出せない)

 そのまま庭に出ると、優雅に着こなした大勢の男女が、真っ白なクロスのかかったテーブルの周りをくるくる歩いていた。

 女の子の両親を紹介された。

 燕尾服を着た父親は立派な口ひげを蓄えていた。

 ドレスに身を包んだ母親はきつめに髪をまとめてメガネをかけた頭のよさそうな人だった。

 招待客たちは次々に歌い、宴も酣となった。

 そこへ、さっき檻の中にいた怪物が連れられてきた。怪物は大きな目をギョロつかせていた。

 怪物を歓迎するかのように、客たちはたがいに向かい合いながら二列に並んだ。

 私はその端にいて、すぐ隣には女の子の両親が立っていた。

 全員が手をたたき出すと、怪物はそれに合わせて歌い出した。

 手を振り足を踏み鳴らしながら、奇怪な声で泣き叫ぶようにして歌った。

 ひとしきり歌い終ると、怪物は引き下げられた。

 隣で、女の子の父親が母親に訊いた。

——おい、やつは今、なんといって歌ったんだ?

 女の子の母親は、どうやら怪物の言葉がわかるらしい。

——おまえたちのうたは くさったにおいがする

  そのあたたかさに ひきこもうとしている

  おまえたちのしゃかいに みらいはない

  てびょうしにのって ほろびてゆく

  …って歌ったのよ。