丸谷才一がなくなったので少しだけメモしておこうと思う

ジョイス『ユリシーズ』全4巻セット (集英社文庫)  

 

 高校から大学に上がる頃、丸谷才一のエッセイを良く読んだ。当時刊行されていたものはほとんど読んだと思う。小説の方はまったく読まなかった。なぜかはわからないが、さっぱり食指が動かなかったのだ。それは今でも変わらない。でも、今度機会があったら一冊くらいは読んでみようと思う。

 

 丸谷才一は後半生において、擬古的な「旧仮名遣い」で文章を書いた。本当の「舊假名遣ひ」ではなく、現代人にもわかりやすく、使いやすくしたものだ。いやむしろ、旧来の「舊假名遣ひ」よりも、自分が考え出した「旧仮名遣い」の方が優れている、という自信があったのかも知れない。「舊假名遣ひ」はけっこういい加減なものだからだ。しかし、丸谷才一の「旧仮名遣い」はさっぱり広まらなかった。それでも本人はそれをずっと続けていた。

 丸谷才一は知っていたのだと思う。「昔に戻る」なんてことは絶対に無理なんだということを。しかしそれでもなお、それをするのならば、たった一人になっても続ける覚悟が必要なんだってことを。

  今回、せっかくだから「旧仮名遣い」で書いてみようかと思ったが、鬱陶しいのでやめた。「ちょうちょう」を「てふてふ」と書くところに「美」を感じるセンスが、私には欠けているのだ。ユーモアなら感じるけど。

 

 数々のベストセラーと数多のエッセイを遺したけれど、一番お世話になったのは翻訳だ。中でも『ユリシーズ』にはお世話になった。といっても別に深い意味はない。『ユリシーズ』にエロチックな描写があり、昔はアメリカですら発禁にしていたとしても、そちらの方でお世話になれるほどのものではない。ただ、ネルソンの記念像の描写について、注釈に「ひごずいきのようなものを想像して欲しい」とひと言あれば、もっとわかりやすかったとは思うけど。インテリだからそういうところは筆が押さえられてしまったのかもしれない。

 

「正しい日本語」についてもうるさかった。

 確か、「今プロ野球界で一番美しい日本語を喋るのは王貞治」とコメントしていた記憶がある。おそらく、王が中国人だということを念頭に置いた上での発言だろう。

 こうしたちょっとしたひと言にも、粋な目配りを欠かさなかった。

 

 とりあえず、手近に『ウナギと山芋』があるので、この機会に読み返してみようと思う。

 

——歴史というのは、スティーヴンが言った。

ぼくがなんとか目を覚ましたいと思ってる悪夢なんです。

(ジェイムス・ジョイス『ユリシーズ』丸谷才一他訳)