まず、マタイと言えばこれ、ということになっている。私の中では。
このアーノンクール指揮は、ひとつの特徴として、全体に血の臭いがプンプンする。イエスはここで、ただ「死ぬ」のではなく、明白に「殺される」のだ、ということが伝わってくる。
そりゃ「受難」なんて言えば宗教的な美しさがあるけど、冷静になってみれば、よってたかってナザレのイエスをなぶり殺してるわけで、最期に救済を予感させるとか嘘くさいと思わないか?、とアーノンクールは語っているようだ。
ただ問題は、この曲を聞いたあと、さっぱりイエスが復活しないように思えてしまう、ということだ。
それからこれは私個人の印象だけど、ユダヤ教の歌唱CDを聞いたことがあるんだが、歌の「肌合い」がそれに似ているように思える。イエスはやはりユダヤ人なのだ、と言いたいかのように感じられる。
ここで語られているのは、メシアのイエス・キリストが死んで復活する受難の物語ではなく、王を騙るユダヤ人・ナザレのイエスがひどい目にあってなぶり殺されてゆくだけの「事件」なのだ。
中世ヨーロッパの音楽はどれも好きだけど、その中からやはりサヴァールを推したい。これは四枚組で代表的な演奏が良く網羅されているのでおすすめ。
本当はこの人の演奏でピカイチなのは『カタルーニャ国歌』だと思うんだけど、どうも収録されているCDがAmazonで扱ってないようだ。
なので、YouTubeの方からひっぱってみる。
カタルーニャは独立した国家ではなく、今ではスペインの一部になっている。バルセロナでオリンピックが開かれたとき、「今度のオリンピックはスペインで開かれるのではありません。正しくはカタルーニャです」という新聞広告がでたりした。こうした動きに見られるように、今でも独立心は旺盛だ。いやまあ、スペインはどこの地方も独立心旺盛だけど。バスクなんか旺盛すぎてテロしてたし。
しかし、10分近い単純で荘重なメロディ、それでいて飽きさせないなんて、とてつもなくすばらしい。
最初、国歌だと知らずに聞いていたが、「クラシック音楽」として充分聞くに堪えるものだった。あとで知ってちょっとびっくり。
国歌って、バカバカしいくらい重々しいか、調子がいいばっかでつまんないのが多いのにね。
ちなみに、当然と言うか、サヴァールはカタルーニャの出身。
クラシックの曲の中で、おそらく一番演奏された回数が多いのは、ベートーベンの『運命』だろう。普通に演奏されているものなら何度も何度も何度も聞いている。そしてまあ、普通に感動している。
だがこのCDだけは別だ。感動どころじゃない、聞いていて自然と涙がこぼれてくるのだ。
しかも恐ろしい事に、涙は聞くたびごとに出る。つまり私はこのCDを聞いて、百回以上泣いている事になる。いかに涙腺の緩みがちな中年男とはいえ、これは異例の事ではないだろうか。いや、異例というより異常なのか、私が。
指揮者のヘルベルト・ケーゲルは元東ドイツの指揮者で、ベルリンの壁崩壊後に銃で自らの頭を撃った。
ケーゲルは一時期、クラシックマニアの間で話題を呼び、その演奏は実際以上の評価を得てしまったりしていたが、そうした騒動のおかげでこんな録音が復活したんだから、まあなんというか世の中棄てたもんじゃない。風が吹いたらオケがもうかった?ダジャレを飛ばしても、照れ隠しにすらならないな。
【おまけ】
逆に、一度聞いただけで二度と聞かない、というCDもある。聞かないけど、捨てる事もできない。呪いのCD? いや、マジでそれに近いかも知れない。
アラン・ペッテション:
交響曲第6番 (Allan Pettersson : Symphony No.6 / Christian Lindberg) [SACD Hybrid] [輸入盤]
アラン・ペッテションはスウェーデンの作曲家で、恐ろしく暗い交響曲を十七遺した。(一番と十七番は破棄された)
それらはどれも単一楽章で書かれていて、闇の中でいきなり襟首をつかまれるような、溺れてあがいているうちに自分の手足が消え去っている事に気づくような、天空を突き抜けるほど高く両端が見えないほど広い壁が倒れかかってくるような、そんな気分にさせられる。
そう、これこそはまさに「聞くと死にたくなる音楽」なのだ。
マーラーは「大地の歌」を作りながら、(これを聞いて自殺者が出たらどうしよう)と心配したそうだが、これに比べれば子守唄のようなものだ。
ごめんなさい、すみません、もう二度と聞きません。
みなさんも好奇心で聞いたりしないように。
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