「交通事故みたいなもの」という人は自分が今つまらないことを言っているという自覚がなかったりするので困る

『連合赤軍』などを撮った映画監督若松孝二が死んだ。交通事故で、最初は「命に別状なし」とされていたのが、一転しての死だった。

 といっても、ここで弔意を評するほど氏の映画を見ていない。

 なのになんでここに書こうと思ったかというと、そういえば今年交通事故で死ぬ映画監督は二人目だなあ、と思ったからだ。

 もう一人は、テオ・アンゲロプロス。今年の一月二四日にオートバイにはねられてなくなっている。新作は未完成のままとなった。

 

 

 ついでなので、もう少し交通事故で死んだ有名人をあげてみよう。

 まず、思想家(と呼ばれると本人は否定したと思うけど)のロラン・バルト。さまざまな角度から「テクスト」を分析し、「作者」の存在を否定し、交通事故のような事象の衝突をあぶり出してみせ、挙げ句最期に本物の自動車にぶつかって死んだ。

 

  画家のジャクソン・ポロックは、「ドリッピング」という手法で、絵画に「偶然」をもちこんだ。それまで、神のごとく王のごとく作品に君臨した「作者」は、ポ ロックの出現によってその地位を追われることになる。うーん、この辺、なんかロラン・バルトと似てる? ただこの人は、ぶつけられたのではなく、自らの乱暴運転で 同乗者もろとも死んだ。

 

 アラビアのロレンス……は、いいか。有名すぎる映画の冒頭で知ってる人も多いだろうし。プリンセス・ダイアナも。

 

 

 他にもいたかも知れないけど、ちょっと思い出せない。赤木圭一郎は厳密には違うし(撮影所内でゴーカートの操作を間違えて事故死)

 意外と少ないのは、有名人はあまり出歩かないから?

 それとも、もともと運が強いのかな。

 ちょっと話は変わって、ミキハウスの社長が「交通事故で100万人以上死んでいる。原発でそんなに死にましたか?」って少し前に言っていた。

 こういう人はただバカなだけだけど、いろんな学者先生が「危険度は交通事故と同程度」「いやそれより少ない」とかぬかしたりするのは困ったもんだ。例の「銃の事故で死ぬより庭のプールで溺死する方が多いから、プールは危険」というジョークを思い出す。ジョークで言ってるんならいいけど、こっちはマジだから肩をすくめて天を仰ぎたくなる。

 こういうことは「社会常識」の範囲だと思うんだが、中学生に一から説明するように言い聞かせなきゃ駄目なんだろうか? 

 まあ、その昔は「原発事故の確率なんて、ヤンキースのスタジアムを隕石が直撃するようなもの。心配するだけ無駄」とか言ってたりしたけどね。それが「交通事故」まで下がって来たわけで、ご当人たちは自分で言ってて変だと思ったりしないのかね。

 

 念のため「社会常識」てのをわかりやすく書いておくと、葬式に行って遺族に「まあ、人間いつか死ぬもんですよ。あまり気にしないように」なんて言っちゃダメってこと。交通事故と比較してどうこうぬかすのは、これと同じメンタリティなわけ。

 いい大人が目尻つり上げて言うことじゃないよ。小学一年生じゃあるまいし。