中国人に初めてノーベル文学賞が授与された、と人は見たがるものらしい。
莫言氏の受賞はかならずしも中国という「国家」にとって誇らしいものではないはずだが、無理矢理そのように受け取っているようだ。中国国内で流される莫言氏のインタビューは、不都合な部分がカットされているという。
ノーベル賞:莫氏「劉氏の自由願う」 「体制側」に反論
http://mainichi.jp/feature/news/20121013k0000m030090000c.html
ノーベル賞、というのは割と「そのように」運用されるもので、日本でも未だに大江健三郎の受賞に歯がみする連中がいたりする。前回のノーベル平和賞なんかはそれがストレートだったので、今回は変化球が投げられたということだろう。
「贈り物」には、そういう使い方があるのだ。
誕生日のプレゼントに「口臭消しクスリ」を送られたら、あなたはどんな気持ちになりますか?
その点で、今度のノーベル平和賞がEUに送られたことに、おもわず膝を打ってしまった。
ずいぶんぶつくさ言う人が多いし、イギリスの首相は「授賞式行きたくないよー」とだだをこねるし、ごたごたぶりは見てて飽きない。
経済的な失敗で、「ギリシアを切り離せ」「ドイツが率先して離脱すればいい」「イギリスはイチ抜けたいと言ってる」などなどかまびすしい中で、ノルウェイ国会の委員会は「本質に立ち返れ」と無言の、しかし強烈なメッセージを発したわけだ。
賞の運用について疑問に感じる人が多い中、世界最高の賞の一つとして続くのは、「贈り物」の中に、考えさせられるメッセージが込められていることが多いからだろう。
が、そういうことは多くの人には伝わらないらしく、お膝元のスウェーデンで、莫言氏の受賞について悶着が起こっているようだ。
中国作家、莫言氏のノーベル文学賞受賞をめぐり、スウェーデン・メディアが大紛糾
「1千億円で文学賞売り渡した」
http://blogos.com/article/48639/
中国がスウェーデンに90億クローナ、約一千億円投資するというので、見返りに文学賞を与えたのではないか?と言われているらしい。ちなみに90億クローナってのは、スウェーデンの一月の貿易黒字と同額である。
たぶん、騒いでるのはごく一部の人だと思うけど、この人たちには「メッセージ」があやまって伝わってしまったのだろう。
さて、中国の作家でノーベル文学賞を受けそこなった、といわれる人に魯迅がいる。
作品を読んだ探検家のスウェン・ヘディンが「ぜひノーベル賞に推薦したい」と魯迅に手紙を送ったところ、「ありがたり話ですが、辞退します。今私が受賞すると、中国人が勘違いして思い上がってしまいかねないので」と阿Qの作者らしい返事をよこした、という。
ヘディンはアジアの文学に造詣が深く、日本からは賀川豊彦をノーベル文学賞に推薦したりしている。
魯迅の作品は、どれも現代においてまったく色あせていない。『阿Q正伝』は誰もが一度は読んでおくべきだと思うくらいだ。特に高校生男子とかは。
個人的には、中国の伝説を題材にとった幻想的な短編の方が好みだ。莫言氏はガルシア・マルケスばりのマジック・リアリズムと言われるが、こちらの血統の方も無視してはならないと思う。
そして、魯迅といえばもうひとつ、「藤野先生」が良く知られている。仙台医専(現東北大)に留学中、藤野という先生との交流を描いたものだ。
以下、wikipediaから引用。
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「私の講義、ノートが取れますか?」とかれ は訊ねた。「どうにか」 「見せてごらん」 私は筆記したノートをさし出した。かれは受け取って、一両日して返してくれた。そして、今後は毎週持ってき て見せるようにと言った。持ち帰って開いてみて、私はびっくりした。同時にある種の困惑と感激に襲われた。私のノートは、はじめから終りまで、全部朱筆で
添削してあり、たくさんの抜けたところを書き加えただけでなく、文法の誤りまでことごとく訂正してあった。このことがかれの担任の骨学、血管学、神経学の授業全部にわたってつづけられた。-中略-
だが、なぜか私は、今でもよくかれのことを思い出す。わが師と仰ぐ人のなかで、かれはもっとも私を感激させ、もっとも私を励ましてくれたひとり だ。私はよく考える。かれが私に熱烈な期待をかけ、辛抱づよく教えてくれたこと、それは小さくいえば中国のためである。中国に新しい医学の生れることを期 待したのだ。大きくいえば学術のためである。新しい医学が中国に伝わることを期待したのだ。私の眼から見て、また私の心において、かれは偉大な人格であ る。その姓名を知る人がよし少いにせよ。 |
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—訳文は竹内好訳『魯迅文集』第二巻、1976、p150・p154
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ここに登場する藤野先生(藤野巌九郎)は、まったく身なりをかまわない人だった。
面長の顔には細く長い無精髭がたれさがり、いつもぼろぼろの成りをしていた。
電車に乗ると、車掌が「えー、みなさま、懐中物ご用心、懐中物ご用心」と言ったという。スリに間違えられたのだ。ついでに、中国人にも間違えられたのかも知れない。
魯迅は、日本も日本人も大嫌いだった。
仙台医専留学中にも、中国人が処刑されるフィルムを学校で見せられている。同級の日本人の学生たちは無邪気に喝采したそうだ。
しかし、それでも魯迅は多くの日本人と交流し、亡くなったとき彼をみとったのは日本人ばかりだった。
最期に一つ、豆知識。
ねえ知ってる?
1993年以降、ノーベル文学賞受賞者はアメリカ人から出ていないんだよ。
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