とりあえず芝居じみた話ってのは疑った方がいいのかもしれないPart2

大報恩寺
大報恩寺

 中学校の修学旅行先は定番の奈良京都でした。寺社仏閣なんて抹香臭いもん中学生が喜ぶか、と親父の心配をよそにけっこう楽しめたもんです。その折、バスガイドさんから聞かされた一つの話が心に残りました。

 

 ある大工がお寺を建てるとき、うっかり柱を一本短く切ってしまった。さてどうしたものかと頭を抱えていると、女房が「他の柱も全部短くすれば良い」とアドバイス。なるほど、とその通りにしてみると、今までのものよりずっと姿良くできた。この怪我の功名で、大工の名は一層上がったのだった。ちゃんちゃん。みなさん、発想の転換って大事ですね……

 

 とまあ、こんな感じ。

 実際元になったのは、大報恩寺(左画像参照)の千本釈迦堂建立にまつわるエピソードだったらしい。

 大工の名は高次、女房の名はおかめ。

 高次がうっかり切った柱に、おかめは「桝組(右画像参照)をあてがえばいい」とアドヴァイス。

 ところが、女から知恵をもらったのでは夫に恥をかかすことになる、とおかめは上棟を待たずに自害してしまったのであった……

桝組
桝組

 

 バスガイドさんはオチをはしょってましたね。まあ、現代の価値観からしたら「なんで死ぬの?」てなもんですから。

 で、この話、千本釈迦堂のものが一番有名なんですが、他にも似たようなものがありまして……

 

 医王山飛騨国分寺を建てる時、やはり大工の棟梁が柱を短く切ってしまった。

 そこへ八重菊という棟梁の娘が、桝組を使うことをアドヴァイス。

 棟梁は娘から知恵をもらったことがばれないように、娘を殺してしまう。

 殺した娘を埋めた傍らには一本の銀杏の苗が植られた。それが今も寺に残っており、乳銀杏(子を生んだ母がお参りすると乳の出が良くなる)の異名で大切にされている。

 寺と古さがほぼ同じなので、樹齢千二百年ほどになるとか。

 

 上記二つは実際に残る建築物の由来ですが、話だけなら似たようなのが日本中にあります。

 

 岩手県東磐井郡大東町(旧中川村)に残る話。

 

 大工の父親が、ある時神社を建てる仕事をしていて、寸法を違って大事な柱を一本短く切ってしまった。父親が困っていたら、娘が長さの足りない部分に木を薄く切ってはさめば良いと教えた。父親はその通りにして立派な神社を作り、棟梁に誉められた。ところが娘に告げ口されるのを恐れて、娘を殺してしまった。それでその娘を今では神として祀り、霊を慰めるために建て前の時には、五色の旗と櫛・鏡などを一緒に祀る。

 

 お次ぎは鳥取県八頭郡若桜町吉川の三隣亡のいわれ。

 

 昔、大工がある屋敷の柱を一本短く切りすぎてしまった。困って家に帰り、家内に柱のことを相談したところ、「桝組の家を作るとよからあで」と答えた。

 大工は教わった通りにして上手く切り抜けたが、一人前の大工が家内に仕事を教えられたと言うことに面目を失った、と考えて家内を殺してしまった。

 それからというもの、その大工が何をどこに立てようと翌日には倒れてしまう。

 不思議に思って神社でお伺いを立てると、はたして家内の祟りであるとわかった。そこで大工は家内の墓に参って、「これからはおめえの顔を立ててやるけえ、仕事をさせてごぜえ」と頼み、一カ月のうちに何日かの不成就日を決めて、その日は家を建てないことにした。

 これが、三隣亡の由縁であるとされている。

 

 今度は長崎県対馬西北部の話。

 

 昔、名の知れた大工が柱を短く切りすぎて困っていると、女房のオタケが一升桝を頭に乗せてみせた。それで舛型の手法を思いついた。しかし、女房に教えられたことが知られぬよう、女房を殺した。

 

 栃木県上都賀郡粟野町旧粕尾村にある話。

 

 大工の棟梁が棟上げしようと思ったら、柱を短く切ってしまった。どうしたものかと思案していると、奥さんが「柱の上にマスを作れば良い」と助言。なるほど、その通りにしたら立派に出来た。しかし棟梁は「かかあのおかげでできたものの、いつかは他人にしゃべるかもしれない。そうしたら世間に知れ、自分の面目が丸つぶれになってしまう」と考えて、奥さんを殺してしまった。すると、上棟式で化物が出たので、女の化粧道具を捧げ、鬼門に矢を向けるようにした。

 

 千葉県長生郡長柄町の話。

 

 ある宮大工が柱の寸法を三寸短く切ってしまった。どうしたものかと苦しんでいると、女房が「そこにこういうものをつけたらどうでしょう」と言うので、その通りに飾り付けたところ、上手くしあがった。しかし宮大工は、教わったことを隠すため女房を殺して神に祀った。

 

 

 秋田県雄勝郡東成瀬村にも違うけどちょっと似たような話が。

 

 昔、名人と称された棟梁が、普通の人にはもちろん、大工にすらわからない間違いをした。ところが、その間違いを十七、八の娘っ子に指摘されたため、頭に来て矢で射殺してしまった。以来、その棟梁が家を建てる度災難が起こったので、棟上げの木の矢に女の上から下までのものを吊るして、娘の霊を慰めるようになった。

 

 

 ……とまあ、こんな具合。

 そしてとどめに、冒頭の千本釈迦堂の話ですが、左甚五郎(東照宮の眠り猫の作者として有名)のエピソードとして、まるっきりそっくりな話が残ってたりもします。江戸文学が趣味の方は、こっちの方でご存知かも知れない。

 民話・伝説のたぐいは似たようなパターンのものがいっぱいある、ってのは常識ですが、これらのように実在する寺社の由来として残っちゃったりすることもあるんですね。

 実際の事件が形を変え、民話となってひろまった、と考えることも出来ますが、私はむしろ民話的ストーリーが寺社の由来に入り込んだのだ、と思います。

 広めたのはやはり、日本中を腕一本で渡り歩いた大工たちでありましょう。

千本釈迦堂 大報恩寺の美術と歴史