どこまでいっても仮説でしかないようでいて確かなことの補論のそのまた補足として

「すべての社会政策が、彼らと我々の知性が同程度だ、という前提に立っているけど、実際やってみるとぜんぜんウソだってわかる」

「黒人を雇ったことがあるならみんな知ってることだ」

 ……十九世紀初頭くらいなら、米南部にあるプランテーションの主人どもが、鼻をかむ回数より多く吐き出してたであろうセリフだ。ところが、二十一世紀にもなって新聞記者の前で、こいつを口から垂れ流しちゃった人がいる。

 みんなびっくりした。垂れ流したのがこないだ辞めた都知事みたいな「札付き」じゃなくて、ノーベル医学生理学賞を受けた大々々科学者だったからだ。

 その名はジェイムス・D・ワトソン。

 DNAの二重らせん構造を明らかにし、分子生物学を劇的に進化させた人だ。生物Ⅱの教科書でもおなじみ。しかもこの人、普段の政治的発言からは「リベラル」と目されていた。

 

James D.Watson -Wikiquote

http://en.wikiquote.org/wiki/James_D._Watson

 

 そしてこの事件には、よくできた小話みたいなオチがついている。

 

Accused of racism Nobel laureate was a Negro

http://www.articleum.com/en/2125.html

 

 ワトソン博士は研究のために自分の遺伝子情報を公開していたんだけど、調べてみたら黒人の遺伝子がたっぷり入ってたことがわかったのだ。

 きっとこのドタバタに接したたくさんの人たちが、ウディ・アレンの映画を見たあとみたいな気持ちになったと思う。笑っちゃうけどイヤな後味が少々、て感じ。

 そしてこのことは、「科学」というものが、社会認識に対してほとんど無力だ、ということを教えてくれた。なんたって、ワトソン博士の発言を擁護する「科学者」がけっこういたんだから。びっくり。

 

 さて、「科学」というものと「社会」との関係を見るために、今度は二十世紀初頭くらいまでさかのぼってみよう。

 一九一〇年十月二十一日、フランクフルトで第一回ドイツ社会学者会議が開催された。そこでアルフレッド・プレッツ(Alfred Ploetz 1860-1940)が、「種という概念と社会という概念」“Die Begriffe Rasse und Gesellschaft und einige damit zusammenhängende Probleme”と題した講演を行った。プレッツは、当時の最先端科学である優生学(人種衛生学 Rassenhygiene)の第一人者だった。

 この講演に激しく反発したのがマックス・ヴェーバー(Max Weber 1864-1920 )だ。

 ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表し、「社会学」というものを正当な「学問」として確立しようとがんばっていた。

 

……社会学にとって有意味となりうるかも知れない次のような事実が、すなわち、ある特定の種類の社会学的な事象は、ある人種にだけ備わっていて、たの人種には決定的に——いいですか、決定的(definitive)にですよ——備わっていない、そういう生まれつきの遺伝的資質に、真に明白かつ確実に、また精密かつ異論の余地なく還元できる、と言いうるような厳密かつ具体的な事実が、今日の段階でただの一つでも存在するという考えに対しては、私は断固として反対しますし、そのような事実が私にはっきり提示されない限り反対続けます。例えば、現在の北アメリカにおいて白人と黒人がおかれている実に対照的な社会的状態は、異論の余地なく、その人種的資質に還元できるなどと、しばしば考えられていますが、これは正しくありません…………

 

 ヴェーバーからの批判に対し、「最先端の科学者」プレッツは口汚い「言い返し」でしか反撃しなかった。

 

…………

プレッツ「黒人は今では、例えば医師になっている。何千もの黒人の医者がいる。しかし、そういう医者が実際に何をやっているかを見ていただきたい。自分でそういう医者にかかって、彼がどんな検査をし、どんな診断を下し、あなた方にどんな治療をするのか、自分の目で確かめてみなさい。キツい言い方をすれば、それは多かれ少なかれ、漫画のようなものですよ」

 

ヴェーバー「あなたのような人たちが、黒人を大学から閉め出しているからですよ。いくつかの大学が、やっと黒人を受け入れるようになったばかりじゃないですか」

 

プレッツ「見識のある人々までが、なぜ彼らを大学から閉め出して来たかをよく考えるべきです。それにはそれなりの理由があったんです」

 

ヴェーバー「白人学生たちの抗議を恐れてでしょう」

…………

 

 プレッツにとって、この程度のやりとりで「充分」だった。大勢の「科学者」たちが彼の肩を持った。

 そしてプレッツは、晩年ナチスに協力することになる。なんてまあ、わかりやすい。

 

 

現代思想2007年11月臨時増刊号 総特集=マックス・ウェーバー  

 

 

「科学」はいろいろなものを生み出す。しかし、生み出されてものの価値をはかるのは、「科学」の役割ではない。「ご存知ですか?科学が更新するのは常に古い科学であって、社会ではないんですよ?」

 

 アンドレイ・サハロフは水爆を作り、「ソ連水爆の父」といわれた。作った水爆で核実験を成功させ、世界に冷戦をもたらした。やがてサハロフは核実験に反対し、核武装に反対し、ソ連政府に抵抗してノーベル平和賞をもらった。

 サハロフの妻は小児科医だった。たくさんの子供たちの病を治したり、仮病を見破ったり、命を救ったり、救えなくて大きなため息をついたりしていた。

 

the Russians love their children, too.