ものすごく単純なことなのに誰も口にしないことはあまりにバカバカしいか不都合な真実なので目を背けているかのどちらかなのだろう

 ちょっと単純なことを書こう。

「え、いつも複雑なことなんて書いてたっけ?」というつっこみはなしの方向で。

 

 今日本で十八歳以上の人間が頭を抱えていることと言ったら、「いつになったら『失われた○○年』とやらは終るんだ?」てことだと思う。

 なんか十年失われたと思ったら、もう十年失われて、またさらに失われようとしている。なんだこれ。幸福の◎学のアニメかよ。何回やりゃ気がすむんだ。

 で、「失われた二十年」なんてへたくそなタイトルがついたアニメを、無理矢理延々と見させられるような状況に我々は置かれてしまっている。その内容ときたら、ぐだぐだ理屈を言うわりには最終的に、「米百俵の精神で」だの「美しい国」だのとわけがわからんことを言いつのるばかり。結局精神論かいな。戦時中と変わらんのとちゃうか。

 

 誰もが薄々気づいているけど、あまりにバカバカしいので口にしないこと。特に評論家先生は沽券にかかわるからふれようともしないこと。それは……

 果たして二十年前、一九九二年の日本に何が起こったか。

 

「インターネットが商用化された」

 

 …のだ。

 だから日本のネットの歴史は、そのまんま不況の歴史でもあるわけ。「あいてー革命」とか言ってたよね。誰だったか忘れたけど。

 だから、この長引く不況の根っこには、器用さじゃ誰にも負けない、人まねさせたら本家より上手くまねる、はずの日本人が、さーーーっぱりインターネットを使いこなせていない、てことがあると思う。

 だって、ちょっと見回しても孫とかいう人しかいないじゃん。成功してるっぽい人って。それでも中途半端な印象があるし、楽天とか何がやりたいのかさっぱりだし。

 でも、「インターネットはすでに社会のインフラだ」って頭があるから、そこに不況の根っこがあるなんて誰も言わないし、言いたくないんだろう。

 

 ここから先はまた機会があれば。

「インターネットをなくしちゃえばいい」なんて結論にはならない、ってのは確か。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書