ちょっと一夫多妻の話をもう少し続けてみます。
とりあえず、一夫多妻ってのは、ある程度人口がなくては出来ません。ある程度人口が増えてきて「都市」というものを形成し始めると、人間は「歴史」を求めるようになります。えーっと、「都市」ってのは、非生産的な人間がある割合で、集団の中の上層部を形成している状態のことですね。そして「歴史」ってのは、その都市が継続していく状況ってことです。平たく言って「ずーっとこのまんま生きていきたいなー」と欲をかくようになったわけ。
それには家族(というか家族的「役割」)が継続していく、てのが一番わかりやすい。
しかし、母権制だと、それが簡単にとぎれてしまう。だって、その母親に子供が出来なければ、そこでおしまいなんですから。
そこで「父系制」にしてしまえば、一人の女に子供が出来なくても、別な女に生ませることが出来るので、つながりやすくなる。
こうして、一夫多妻ができあがってくるわけです。
今、「母権」と「父系制」と書きましたが、私は「母系」というものは基本的に存在しない、と考えています。「系」という歴史的連続性を意識するのは「父系」のみで、母系的に見えるのは「母権」のなごりだと思うのです。
さて、一夫多妻制にはさらにもう一つの利点があります。
複数の女性のうち誰かが妊娠すればいいのですから、ぶっちゃけ誰の種だろうと孕んじゃえば係累が続くんですね。これ、あんまり言われてないですけど、けっこう多かったと思いますよ。
古事記からして、ニニギに「本当に俺の子か?」と疑われたコノハナサクヤビメが、家に火を放って燃え盛る炎の中で三柱の子を産んでみせ、ニニギに認知させた、なんて話が出てんですから。
だいたいDNAどころか、血液型もわかんないんだから、産んだもの勝ちです。
江戸時代までの武家の子供判別法は、産まれた後に胞衣(えな)を広げると家紋が浮かび上がる!、なんてシロモノでした。
そして、このように一夫多妻制が続いていくと、以前ちょろっと書いたように、女性の価値の暴落が起きてきます。
どのくらい暴落するかというと、産まれた赤ん坊が女の子だったら殺しちゃう、ってくらいです。
古代のアラブでは、女の赤ん坊を生きたまま砂漠に埋めちゃったりしてました。
で、これをやめさせたのが、ムハンマドであり、イスラム教だったんですね。
イスラム教はさらに、男が勝手に離婚する風潮にも制限を設けました。ていうか、基本的に「離婚はダメ」としました。それから、未亡人は身ぐるみはがれて素寒品で家からたたきだされるのが普通でしたが、夫の財産を相続する権利を与えました。
そして、妻は四人までに制限しました。それまでは、力さえあれば何人でも娶ることが出来たんです。そして、四人の妻は「平等」とし、本妻と妾のような区別をやめさせました。
つまり、イスラム教ってのは、当時どんどん暴落していた女性の価値に、歯止めをかけたわけです。なので、初期は女性信者の方が多かったくらいでした。
ところで、この「女の子が産まれると殺しちゃう」てのは、別にアラブだけだったわけじゃありません。
日本だって戦前まで「これがもしもしおなごの子なら、こもに包んで小縄でしめて、前の小川へそろりと投げる」なんて田舎で歌ってたんですから。
現代でもインドなんかは、女の子が生まれることを忌むあまり、男女人口比がエラいことになってる村もあるんです。
【インド地方部で女児が急減、男女比さらに悪化】
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2813596/7511556
こういう傾向ってのは、なかなか修正されないもんですね。
今回はこの辺で。
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