原稿を「書く」という行為が先に滅んでゆくのかもしれない

 数年前鬼籍に入った他称「天才」エディター安原顕は、村上春樹と仲違いして、もっていた村上の生原稿を古本屋に売り払ってしまったそうだ。さすがに村上春樹も激怒したそうだが、私は別な感慨を持った。

 (へー、村上春樹って、まだ原稿に書いてたんだ……)

 最近の作家は、パソコンで文章書いてるもんだとばっかり思っていたのだ。

 いまどき、電子データでないと嫌がる編集者も多いしね。データでもらった方が編集作業も早くなるし、なんといってもらくちんだ。

 

 今、ペンを持って文章を書く、ということをどれくらいの人がしているのだろうか。

 そして、作家と呼ばれる人たちの中で、原稿用紙に字を書いている人はどのくらいいるのだろう。とりあえず、こないだノーベル文学賞に輝いた莫言はそうみたいだ。

 アメリカだと、ウィリアム・スタイロンやスティーブン・キングは、紙にペンで書き付けていると聞く。だから映画「スタンド・バイ・ミー」のラストで、キングとおぼしき作家がタイプライターを使っているのはフィクションということになる。ちなみにタイプライターで書かれた最初の小説は、ヘミングウェイの『老人と海』だったと言われている。ヘミングウェイはこれでノーベル文学賞を受けた。

 

「タイプライターの登場で小説の文体にどのような変化があったか」調べた人がいるそうだ。とりあえず、原稿の生産速度は上がり、小説家の持病は書痙から腱鞘炎になったのは確かだろう。

 私も今こうしてパソコンで文章を書いているが、あきらかに文体に影響があると思う。とにかく、縦書きと横書きってだけでも違ってくる。

 最近の作家で面白いエッセイを書く人が減っているのは、横書きで書いてしまっているからではないだろうか。文体が変わると思考の流れが変わり、それは語り口に影響して面白い話もつまらなくなる。内容が変わるわけでもないのに、どこか後味がおかしくなる。なんというか、湯のみでコーヒーを飲んでいるような違和感を覚えるのだ。

 

 原稿が電子データになると、書いてる人はなんだかつまらなく思えないだろうか。だって、必死にない知恵振り絞って書いた原稿が、たった数メガにもならないんだから。原稿用紙であれば、それがどっさりと後に残る。データはちょいと間違うと一瞬で消滅して元に戻らない。

 それに、のちのち古本屋がこうして生原稿を売る、ということもできなくなるし。

 

 ときに、このブログを書くときは、なるべくその都度文体を変えるようにしている。「おんなじじゃん!」と思えるのは、私が未熟なせいなのでどうか御寛恕のほどを。

本など読むな、バカになる