「政治的な現代の問題のいろいろ」について語るのはなんでこんなにらくちんなのか

 こないだちょいと腰を捻ってから、ずーっと腰が痛い。痛くてかなわん。こういう状態になると、さっぱり頭が動かなくなる。「思考なんざ所詮肉体の奴隷でしかないのさー」というニーチェの科白が思い浮かぶ。

 おかげで一昨日は何も書けず、昨日はガラにもないことをチャラチャラ書いてしまった。

 その時思ったのが、「なんで政治的なことって、こんなに簡単に書けるんだろう?」てこと。

 いや実際、娘との会話とかやくたいもない偉人のエピソードをメモしたりとか、そっちのほうが何倍も頭を使う。実感として、脳細胞の使用頻度は十倍くらい違う。当社比。

 かといって、昨日書いたことは誰かが言ったことを引き写したわけではない。パレスチナの国連決議について、対キューバ経済封鎖解除の決議を合わせて語っている人は見かけないし、グァンタナモ基地と竹島を関係にづけている人も、もしかしたらどこかにいるのかもしれないけど、自分が知る限りではどこにもいない。

 でもやっぱりらくちんだった。

 この「らくちん」はどこからきてるんだろう?

 

 今まで「政治」についてのエントリーをいくつか書いたけど、それらよりもずっと昨日の方がらくちんだった。

 それはきっと、これまでのエントリーでは時事的な問題をなるべく避けて、触れることはあっても深入りしないようにして、二年後三年後に読んでも、理想としては十年後に読んでも意味が取れるようにと考えていたからだろう。ええまあ、一応考えてんだよね。これでも。

 でも、昨日のエントリーはそういうことをいっさい考えなかった。

 

 それから、ただの笑い話やエピソードの羅列にしても、常に念頭にあるのは「果たしてこれで読む人に通じるだろうか?」ということ。娘との会話とか、ヒネリの部分をどう書いたもんか、店の中をギアの壊れたロボットのおもちゃみたいにぐるぐる一時間くらい回って考えたりする。そんな風に見えない?そりゃそうだ、苦労の跡は出さないようにしなくちゃ。

 でも、昨日のエントリーはそういう苦労はいっさいなかった。

 

 だって、「時事的な政治問題」って後で古びても平気だもん。話が通じるのが当たりまえだもん。もし通じなかったら、そりゃ相手が馬鹿なんだよ、ふんぞり返ってればいいし。いわゆる「上から目線」てやつね。こりゃあ「らくちん」だ。

 

 正直な話、民主党だの自民党だののお題だけでよければ、毎日三本くらいエントリーをあげられると思う。やんないけど。もしやってることがあったら、「ああ、最近疲れてんだな」と生暖かい目で見といて欲しい。

 そんなわけで、この世で一番楽な商売は「政治評論家」に決定致しました。888。

 きっと政治評論家のたいへんな部分ってのは、評論を書く以外のことが大部分なんだろうな。

 あー、それにしても腰が痛い。

 

 

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