あまりにもたくさんのたくさんの詩集もうたくさん

 本日、無名詩人たちの詩集がひと山入荷。ひと山いくらで買う。

 いや、しょうがないんですよ、売れないんだから。

 古書として売れる詩集はごくごくごくごく限られている。

 でもまあ、もうかってる古本屋よりは多いけど。

 

 デフレというのは生産が過剰で消費が過小だと起こる。

 詩集もデフレを起こしているのだろうか。

 企業が過剰設備を壊してリストラを断行するように、詩集を制限すべきだろうか。

 過剰なのは詩だけではない。

 短歌も俳句も小説も音楽も絵画も演劇も映画も、テレビやアニメや漫画だって過剰だ。

 生産したがる人ばかりで消費したがる人がいない。

 と、評論家先生のようにふんぞり返っても、天井の梁を渡る蜘蛛が見える程度だ。

 

 本当のことを言うと、文化はかつてなく過剰に「消費」されている。

 インターネットの中でたちまち噛み砕かれ消化され分離して排泄される。

 どんなにたくさん「生産」してもあっと言う間もなく「消費」される。

 だから「消費のフリをした生産」が行われるようになる。

 「生産のフリをした消費」でも同じ。(ボードリヤール万歳!)

 ネットの中は、まるで臓物のようにあたたかく、居心地がいいのだ。

 

 詩集はたくさん作られる。

 どんどんどんどん作られる。

 デフレ少子化何のその。

 でもきっと詩集はあっても「詩」が足らない。

 とわかったふうなことを言っておしまいにする。

 

 

犬塚堯全詩集 ことばのつえ、ことばのつえ 消費社会の神話と構造 普及版  

 

……今回はなんとなく現代詩っぽく書いてみました。