あなたの隣にスパイがいて隣の隣もスパイだから隣も隣もそのまた隣もついでにあなた自身もスパイなのだ

 一九四一年十二月七日、前大統領候補ウェンデル・ウィルキーはこう予言した。

「四十八時間はおろか、四十八日間だろうと四十八年間だろうと、われわれが日本と戦争することはない」

 と・こ・ろ・が、そのころ日本軍はパール・ハーバーの準備をしてたんですね。

 なんつーか、なんだろう、「アメリカが日本を追いつめて戦争させた。すべてはアメリカの陰謀だった」てな話ってけっこう常識にみたいになってますけど、ネットをぶらぶら見回ってると、アメリカ側の認識って全然違いますね。だいたいハル・ノートとか、最後通告でもなんでもないし。

 アメリカ側の見解では、最後通告ってのは東条内閣が十一月五日に出してきた「最終案」で、それはアメリカがとても呑めない条件になってました。それをなんとかしようと継続協議する過程で出されたのがハル・ノート、ってことになってます。なので、無理強いをしてきたのは日本側、という認識ですね。アメリカはなんとか穏便にことをすませようと一生懸命だった、と。うーん、とことん悪もんですね、日本。

 

 さて、パール・ハーバーですが、この卑怯な不意打ちをアメリカは全然知りませんでした。

「ルーズベルトは知っててやらせた」説は根強いですが、確かな証拠はありません。でもけっこういろんな人が信じてますね。手塚治虫も『アドルフに告ぐ』でそう描いてましたし。

 では、本当にパール・ハーバーについて、日本側からの情報はなにもなかったのか、といえばさにあらず。

 一九四一年一月二七日、駐日大使ジョゼフ・クラーク・グルーは国務省に向けて、「日本はアメリカを攻撃する用意があり、その時攻撃目標となるのは真珠湾だ」との電文を送っています。

 でもこれを国務省は無視しました。なんでか。

 だって、情報元が芸者だったんだもん。

 国務省の人間はとっても優秀でまともな人間ばかりなので、まさか軍の最高機密を芸者にべらべら喋るバカがいるとは夢にも思わなかったんです。

 

 似たようなことはミッドウェー作戦の時にも起きました。

 ある日、伊一六八に乗り組む田辺艦長は信じられないような話を耳にします。

 料亭のおかみが「お次はミッドウェーですってねえ。成功したら水無島ってお名前になさるとか」と言う。

 町を歩けば、普通のおばさんが「今度はミッドウェーですって!」と声をかけてくる。

 家に帰れば奥さんまで、

「次の作戦はミッドウェーと聞いておりますよ」

 最高機密だだもれです。情報戦がどうしたとかのレベルじゃない。

 元は芸者さんから漏れてくるんですね。

 

 なんたって当時、むさくるしい軍人が芸者遊びでモテる方法と言ったら、

「チョイと軍機を漏らす」

 のがいちばんでした。

 どんなブ男でも「次の作戦は○○が×▲して、うーん、これは機密だ」とやれば、芸者さんたちがきゃあきゃあ喜んだんです。

 おかげで日本軍には

「はずむ話で漏らすな軍機」

 なんて恥ずかしい標語ができちゃいました。なにやってんだか。

 

 こういう話を聞くと、本当に日本って「村社会」だったんだなー、という感慨を強くします。

「村」の中では、すべての情報が共有されます。

 情報を独占するやつは「村」を破壊する者です。そんなやつは村八分ですね。

 敵に情報が漏れるのどうのということ以上に、「村」として情報を共有することが優先される、という心性が根強くあるわけです。

 だから隠し事がとっても苦手なので、ちょっとしたことですぐ漏れちゃう。トイレトレーニングができてない三歳児みたいなもんです。罪悪感が薄いところも似ているな。

 

 あ、ついでに、金子光晴が『真珠湾』という詩を書いています。これ、発表は攻撃の後になりましたが、当時の雑誌の発行状況を考えると、どうしてもその前に書かれたとしか思えない、と丸谷才一がエッセイに書いています。

 丸谷氏が直接金子光晴にその件を訊ねると

「だって、あそこしかないでしょ?」

 といたずらっぽく笑ったそうです。