誰がアレキサンドリア図書館を燃やしたのか

 A.D.641年、当時ビザンチンの支配下にあったエジプトは、イスラムの侵攻を受ける。皇帝へラクリウスが死んだ隙をつかれたのだ。

 その時、かの有名なアレキサンドリア図書館が焼かれ、多くの貴重な文献が喪われた。

 四千の騎兵を従えたアムル・イブン・アル=アスは、「コーランと同じことが書かれている書物はコーランがあれば良いから焼け。コーランに書かれていない書物は邪悪な教えであるから焼け」とすべてを焼くように命令した、とされる。

 この話はシリアの年代記作家バール・ヘブレーウスによって書かれ、永らく事実であると信じられていた。

 しかし、今ではまったくのでっちあげであることがわかっている。

 

 事実は、それより二百年以上前、A.D.391年に狂信的キリスト教徒たちによって焼かれたのだ。命じたのは総大司教テオフィロスだった。彼らは聖書と整合性のとれない書物をことごとく焼き、図書館を徹底的に破壊した。

 

 またこれ以前にも、A.D.48年にも延焼の難に遭っている。

 カエサルがエジプトを攻めたとき、エジプト海軍を無力化するためアレキサンドリアの街に火を放ったのだ。それが燃え移った。

「風向きが悪かった」と弁護する人もいるようだが、図書館の存在を知らなかったわけでもなく、ほぼ意図的だっただろうとされる。

 

 

古代アレクサンドリア図書館―よみがえる知の宝庫 (中公新書)