「弱肉強食」「弱肉強食」秘密の呪文を唱えれば自分が強くなったような気がするよ〜Part3

 そんなに続けるつもりはなかったんですが、Part3です。

 Part1, Part2 はこちらです。

  横綱大鵬がなくなりました。「巨人、大鵬、卵焼き」が懐かしいのは四十代後半以降だそうで、なんでもこのフレーズ考えたのって堺屋太一なんだとか。「団塊の世代」だけじゃなかったわけか。

 で、以前も述べましたように、大相撲ってのは「皆が強いと思うものが強い」という「真理」を確認するための儀式でした。しかし、今はそういう儀式的な需要がなくなってきてますね。いちいち確認せんでも、とにかく「勝ったやつが強い」でないと皆が納得しないからです。でもね、それでもなお、どこまでいっても「弱肉強食」はフィクションでしかないんですよ。

 

 別にここで新たなる哲学を展開しようとしてるわけじゃなくて、「弱肉強食」がウソだなんてのは仏教もキリスト教も昔っから言ってることです。「山上の垂訓」なんてそういうことでしょ。

 

 ちょっと話変わって、進化論では似たようなことを「適者生存」と言いますね。こっちの方がより確かな感じがする。

 しかし、ここで一つ問題が生じます。

 果たして、「裸のサル」にとって「適者」とはどんな意味を持つものなのか?、ということ。

 人類って、あらゆる動物の中ではあきらかに弱者の方に入ってるでしょ。同程度の体重の動物の中では圧倒的に体力がないし、暑さ・寒さ・飢え・病・毒への抵抗は小動物にも劣る。でも、今地球を支配してるのは、あきらかに「万物の霊長」とか自称する人類です。

 直立して、両手が自由になって、大脳が発達して、なんて話はわかってます。でもそういうのって、明らかにこれまでの進化の流れと違いますよね。なんていうか、マラソンにバイクで参加したり、登山するのにヘリコプターから山頂で降りたり、入試の時スマホでカンニングしたりするような感じがする。

 そして恐らく、人類も心の奥の底の底でそれを感じている。

「もしかして、俺たちってズルして生き残ってるんじゃないのか?」

 つまり、知性という「ズル」を正当化するために、「弱肉強食」という「真理」を人間は創り出したのでしょう。おかげですっかり戦い好きになっちゃいました。だって、そうやっていつも「人類は強いんだ」って確認してないと、自分たちが間違ってるように思えちゃうからね。

 

 あらためて、進化論ってのは「人類とは何か」について答を出そうとする学問なんだな、と思えます。

 知性や言語がどうやって生じたのか、そのミッシング・リンク探しの道のりは、まだまだまだまだまだまだ長いです。まあ、それだから「学校で進化論を教えるな」なんて言い出す人がはびこっちゃうんでしょうけど。ローマ法王も進化論を認めるご時勢に何いってんだか。

 結局は、禁断の実を喰らい、信じることの楽園を捨てて知ることの地獄を選んだ罪について、その答はむしろ進化論を追求していく方向にあるってわけです。

 

 

分子進化の中立説